解題・説明
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第一次世界大戦時、中国の青島で日本の捕虜となったドイツ兵を収容するため、習志野俘虜収容所が設置され、大正4年(1915)から同9年1月にかけての4年4か月の間、最盛期には1千人近い捕虜が収容されていた。捕虜たちは日本側が建てたバラックのほかに、ラウベ(あずまや)と呼ばれる小屋を建て、周辺には菜園を作っていた。この写真は、習志野俘虜収容所に収容されていた捕虜ヨハンネス・ユーバーシャールが所蔵していたものである。収容所北西部のラウベとバラック。写真左側のラウベの脇には菜園がつくられており、ラウベ群の奥にはトレーニング場、音楽・演劇用ステージが見える。
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