資料解説
|
フランスのシトーに総本部をもつ「トラピスチヌ」で、函館の子院として創設されました。修道女は自給自足の生活を送っており、1日7回の祈りと農耕などをする毎日です。昭和23年に加古川市から移転してきたトラピスチヌ修道院は、夫婦池のすぐそばの松林の中にひっそりと佇んでいました。◆「歌風土記 兵庫県」に歌人富田砕花はトラピスチヌ修道院の歌を載せています。◆「山を背に修女が秋の畑を打つすがたひそけしうつりゆく雲」◆しかし周辺の国有林を民間に払い下げられたことで宅地造成が進み、修道院近くにも整地が迫っていました。また近くに県道が開通したこともあり、昭和44年騒音に耐えかねて約1.5km北西の山中に移転しました。現在の建物は建築家・村野藤吾氏の設計です。
|