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資料解説
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西宮の街は古くから酒蔵の多く建ち並ぶ久保町付近が中心であり、町役場も久保町にありました。明治10年に西宮小学校として建設され、小学校が浜脇町へ移転した後、西宮町役場となりました。◆表二階のベランダには欄干が付き、屋根には高く六角形の太鼓楼があり明治初期の息吹を感じさせます。瀟洒な建物は西宮町の人々の誇りでした。◆大正14年の市制施行当初、この建物を市庁舎として利用しましたが手狭でもあり、新庁舎の建設が望まれていました。阪神国道(国道2号)の建設を機に、第13代辰馬吉左衛門氏が30万円という私財を寄付し、六湛寺に新しく市庁舎が建てられ、昭和3年に移転しました。◆その後、市立西宮商業学校、市民病院として利用されましたが、昭和20年8月6日の空襲で焼失します。◆ 玄関右側にソテツが植えられています。市役所が六湛寺へ移る際、このソテツも庁舎前に移植されました。そして昭和46年、新たに市庁舎が建替えられる際、北山貯水池へ移植され現在もその姿を見ることができます。
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