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資料解説
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大正13年に阪急電鉄甲陽線が開通し、翌年苦楽園口駅が設けられたことで、周辺が住宅地として発展していきました。それにともない昭和11年4月、夙川尋常小学校が大社尋常小学校に通学していた2年生と新入学の1年生で開校しました。開校当時の学校周辺では森や田畑の中に宅地が点在する、のどかな風景でした。◆校歌の作詞者 薄田泣菫(すすきだきゅうきん)は、「艸木虫魚(そうもくちゅうぎょ)」など数々の作品を生み出した随筆家でした。大正15年分銅町に居を構え、そこを「雑草園」と名づけました。◆参考文献 西宮文学風土記(下)
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