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資料解説
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竣工前の市庁舎と墓石が並存しています。◆六湛寺付近は共同墓地でした。JRの土堤から南、東川から県立西宮病院の川筋にかけて深いヤブで、キツネやタヌキの巣があり、12000余坪の広大な地域には有縁無縁の石塔や卒塔婆が、ところ狭しと乱立していました。◆大正14年の市制施行当初、西宮町役場(久保町)を市庁舎として利用しましたが手狭であり、新庁舎の建設が望まれたものの財政的にむずかしく、実現は先延ばしにされていました。◆庁舎建設の大きなきっかけとなったのが昭和2年の阪神国道(国道2号)の建設です。旧国道(中国街道)に沿って計画されましたが、家屋密集地を通るのは困難なため、農地が多く人家のまばらな省線(JR)南側に定め、ちょうどその位置にあった六湛寺墓地の一部が国道用地となりました。◆第13代辰馬吉左衛門氏(本辰馬家)は、西宮市の市税収入一年分に当たる30万円を寄付し、これにより、すべての墓地を満池谷へ移転させ、市庁舎を建設しました。◆参考文献 大正12年町会一件書類、大正14年4月以降議案原本書綴、昭和2年第1回市会会議録
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