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目録ID 0100000371
タイトル 巻次、部編番号 「六湛寺」石碑
タイトル(カナ)
巻次、部編番号(カナ)
「ロクタンジ」セキヒ
タイトル(英文)
サブタイトル 六湛寺
サブタイトル(カナ) ロクタンジ
サブタイトル(英文)
欧文タイトル
タイトルに関する注記
作成者 西宮市
作成者(カナ) ニシノミヤシ
作成者(英文)
宛先
宛先(カナ)
宛先(ローマ字)
出版者
出版者(カナ)
出版者(ローマ字)
撮影日・撮影時期 1953年
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内容年終
資料解説 西宮市役所等がある六湛寺。古い地図を見てもこの寺院の名は残っていませんが、鎌倉時代末期の禅僧虎関師錬(こかんしれん)の弟子東洲法昌禅師の創建と伝えられます。文永11年(1274年、鎌倉時代)鋳造の梵鐘が、嘉慶元年(1387年、南北朝時代)に六湛寺に運ばれたという銘文が残っていたこと、「瓦林政頼記」に伝えられる哀話や天正年間荒木村重の兵火に遭って消失したなど、規模の大きい寺院であったことが推測できます。◆幕末、長州征伐の際には姫路藩が駐屯し、また幕府の長州征伐が失敗したあと、討幕軍の根拠地となりました。明治3年、主たる塔頭であった茂松庵、如意庵がそれぞれ寺と称し、六湛寺は廃寺となり、昭和に入って町名としてその名を残すことになりました。◆茂松寺の南側にあった如意寺は、現市庁舎の会計室付近にありました。昭和46年の庁舎建設に先立ち北名次町に移転しますが、この如意寺の西に「六湛寺」石碑が建っていました。本来の場所は不明ですが、現在は市民会館階段下にひっそりと立っています。◆参考文献 西宮市史第1巻、西宮あれこれ、酒都遊観記
資料解説(英語)
内容細目
内容細目(カナ)
内容細目(ローマ字)
寄与者(英語)
所蔵機関名 西宮市総務課
町名 所在地詳細(番地) 六湛寺町10-3
撮影方向
資料管理番号
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資料分類(小分類)
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自治体史掲載
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所有権・著作権注記 著作権保持者 著作権保持者:西宮市
緯度・経度・高度に関する注記
資料群名 西宮市所蔵文書
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