資料解説
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西宮市役所等がある六湛寺。古い地図を見てもこの寺院の名は残っていませんが、鎌倉時代末期の禅僧虎関師錬(こかんしれん)の弟子東洲法昌禅師の創建と伝えられます。文永11年(1274年、鎌倉時代)鋳造の梵鐘が、嘉慶元年(1387年、南北朝時代)に六湛寺に運ばれたという銘文が残っていたこと、「瓦林政頼記」に伝えられる哀話や天正年間荒木村重の兵火に遭って消失したなど、規模の大きい寺院であったことが推測できます。◆幕末、長州征伐の際には姫路藩が駐屯し、また幕府の長州征伐が失敗したあと、討幕軍の根拠地となりました。明治3年、主たる塔頭であった茂松庵、如意庵がそれぞれ寺と称し、六湛寺は廃寺となり、昭和に入って町名としてその名を残すことになりました。◆茂松寺の南側にあった如意寺は、現市庁舎の会計室付近にありました。昭和46年の庁舎建設に先立ち北名次町に移転しますが、この如意寺の西に「六湛寺」石碑が建っていました。本来の場所は不明ですが、現在は市民会館階段下にひっそりと立っています。◆参考文献 西宮市史第1巻、西宮あれこれ、酒都遊観記
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