資料解説
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写真上部、人や自転車が横切っているところが久寿川橋にあたります。左奥には津門住江町の円筒形ガスタンクが見えています。◆第二阪神国道(国道43号)は戦前から計画され、昭和21年決定の「復興都市計画街路」によって着手された「浜手幹線」が基になっています。「浜手幹線」は阪神間の大動脈としての役割を期待されました。戦後すぐ本格的に工事が進み、小さな建物が移転して幅員50mの空地が整地されてくると、人々は驚きを込めて「50m道路」と呼びました。◆昭和28年には大阪市御堂筋本町-神戸市灘区岩屋南町間が「二級国道173号」として認定され、法律上正式に「第二阪神国道」が誕生します。昭和32年には建設省(当時)直轄工事となり、34年には「一級国道43号」に昇格しました。開通式は昭和38年1月6日に行われました。
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