資料解説
|
写真は完成したばかりの甲子園陸橋から東を見ています。当時「夜でも新聞が読める明るさ」と言い表された水銀灯は50m間隔で設置されました。まだ交通量も少なく、写真左下に見えているのは自転車に乗る人でしょうか。◆第二阪神国道(国道43号)は戦前から計画され、昭和21年決定の「復興都市計画街路」によって着手された「浜手幹線」が基になっています。戦後すぐ本格的に工事が進み、昭和32年には建設省(当時)直轄工事となり、阪神間の大動脈としての役割を期待されました。◆甲子園陸橋は第二阪神国道工事で一番の難所のひとつでした。甲子園球場をはじめ、阪神パークや甲子園プール、甲子園海水浴場などがあり、季節を問わず多くの人々が行き交う場所に国道を通す必要があります。そこで、人々の横断に対応するため、甲子園球場周辺は高架構造となりました。人々がスムーズに流れ、高架下を観光バス等の駐車場としても利用できるように当時の最新工法を使い、橋脚の間隔は約70mと非常に広くとられました。
|