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資料解説
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第二阪神国道(国道43号)は戦前から計画され、昭和21年決定の「復興都市計画街路」によって着手された「浜手幹線」が基になっています。戦後すぐ本格的に工事が進み、昭和32年には建設省(当時)直轄工事となり、阪神間の大動脈としての役割を期待されました。しかし、国道建設により南北の生活圏や校区が分断されることになり、児童の登下校も危険にさらされます。そこで昭和37年には学校の近くに歩道橋が設置されることになりました。横断の利便性から地下道の設置が望まれましたが、地表近くを流れる宮水を守るという観点からも陸橋の設置となりました。◆中央分離帯はグリーンベルトとなっており、都市ごとに種類の異なる樹木が植えられました。道路に美観を添えるだけでなく、樹木を見ればどの町を走っているかわかるという日本で初めての試みでもありました。西宮市内には常緑樹のカンツバキ、トベラ、カイヅカイブキの3種類が植えられました。
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