資料解説
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阪神電鉄武庫川線は太平洋戦争中の昭和18年、現・高須町の川西航空機工場への物資輸送を主目的として建設が始まりました。物資不足でいっさいの新規投資が控えられる中、武庫川線は例外的な建設でした。特に緊急性の高い阪神電鉄武庫川駅-川西航空機工場間は、勤労奉仕の学生も動員し、わずか100日余りの突貫工事で昭和18年11月に開通させました。翌19年には武庫川駅から武庫川沿いを北に延長し、省線(JR)甲子園口駅を通り、西ノ宮駅に至る路線が建設されました。◆昭和18年に阪神電鉄が受けた武庫川線の特許は、省線甲子園口から尼崎市西高洲に至る路線でした。洲先から武庫川を渡り、尼崎海岸部の重工業地帯を臨む工事の一環として武庫川尻に数基の橋脚が建設されました。しかし終戦により架橋工事は中止され、橋脚は造りかけのまま戦後も長く残されていました。
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