資料解説
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昭和5年12月、川西航空機は本社と工場を神戸から現・高須町に移しました。海軍の指定工場だった同社は終戦まで、海軍のための水上機と飛行艇を主に設計、製造していました。戦後に事業転換が図られ、川西航空機鳴尾製作所の企画室第二班は名称を「明和自動車製作所」とし、三輪自動車の製作を受け持ちました。昭和21年8月に完成した試作第一号は翌月から量産され、商標名「アキツ」として販売されました。「アキツ」の名は戦時中の川西航空機の秘匿名称であった「神武秋津社」から取られています。昭和24年には明和自動車工業株式会社となりますが、経営難から工場を閉鎖し、昭和31年にダイハツ工業の子会社・旭工業株式会社となりました。
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