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目録ID 0100000952
タイトル 巻次、部編番号 内外綿株式会社工場
タイトル(カナ)
巻次、部編番号(カナ)
ナイガイメンカブシキガイシャコウジョウ
タイトル(英文)
サブタイトル 明治期の建物
サブタイトル(カナ) メイジキノタテモノ
サブタイトル(英文)
欧文タイトル
タイトルに関する注記
作成者 西宮市
作成者(カナ) ニシノミヤシ
作成者(英文)
宛先
宛先(カナ)
宛先(ローマ字)
出版者
出版者(カナ)
出版者(ローマ字)
撮影日・撮影時期 1921年
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内容年終
資料解説 この工場は明治28年「日本紡織株式会社」として誕生しました。日本紡織を設立したのは明治時代の関西を代表する実業家・松本重太郎と西宮の酒造家・和泉萬助。当時この一帯は綿畑が広がり、紡織工場がこの地に建てられたのもそのためだと考えられます。◆しかし明治34年に始まる恐慌が影響し、日本紡織の営業は悪化していきます。そこで松本は自身の設立した百三十銀行から融資をすることで日本紡織の経営不振をしのごうとしますが、銀行の経営も悪化。明治37年ついに百三十銀行が支払い停止となったことで日本紡織も破たんします。明治38年に内外綿株式会社に工場が買収されてからは順調に業績を伸ばし、西宮の近代工業発展の原動力となったと言われています。◆昭和18年に海軍の要請で船舶用ポンプを製造する日本水力工業株式会社の工場になり、そのまま終戦を迎えました。工場は戦災を免れ、戦後もレンガ造りの建物が西宮近代工業を牽引した当時の面影を残していました。工場は平成14年に尼崎に移転し、跡地は住宅地になっています。
資料解説(英語)
内容細目
内容細目(カナ)
内容細目(ローマ字)
寄与者(英語)
所蔵機関名 西宮市総務課
町名 所在地詳細(番地) 泉町1
撮影方向 東南東
資料管理番号
資料種別(形態分類)
資料分類(小分類)
文化財指定種別
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自治体史掲載
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所有権・著作権注記 著作権保持者 著作権保持者:西宮市
緯度・経度・高度に関する注記
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