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資料解説
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昭和30年代には国内のモータリゼーションが急成長期を迎えましたが、これに対応する都市の道路交通施設の整備が追い付かず、このひずみは随所に現れていました。踏切道の問題もその一つとして挙げられ、鉄道高架化が懸案事項となっていました。昭和37年2月には、踏切遮断が一日に延べ8時間47分にもなっていた市役所前線の広田道踏切が、前年に制定された「踏切道改良促進法」の対象になりました。県・市・阪急電鉄の協議の結果、広田道踏切だけではなく夙川-御手洗川間を全て高架にするという最終決定がなされました。阪急電鉄夙川-御手洗川間高架化工事は昭和40年3月に着工します。工事はまず、線路北側の市道に仮の上り線を敷くことから始まりました。次に、元の上り線路に下り線を走らせ、撤去した下り線路上で下り線高架工事が行われました。写真は上り線の高架化工事中。地上を走る仮線と高架上の下り線に挟まれながらも着々と進められています。写真右の踏切は西宮警察署から市民運動場へ抜けるかつての西国街道です。踏切待ちをする車の後ろには、現在も立つ廣田神社の標柱が見えています。
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