資料解説
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市民館は、昭和25年、一般市民の集会その他の利用に供する目的をもって建設された。◆ この建物の設計は古塚正治氏である。二階建て木造建築で、階下に事務用7室、階上は会議室及び控え室3室あった。◆ 古塚正治氏は、西宮市内では市庁舎、市立図書館、旧八馬汽船株式会社、多聞ビル、市火葬場、塵埃処理場、旧大社小学校を手がけ、市外では宝塚ホテル、六甲山ホテルなども設計した阪神間モダニズムを代表する建築家の一人。戸田町に生まれ、西宮第一小学校(現浜脇小学校)出身。早稲田大学建築学科卒業後は宮内庁に奉職し、海外へ留学後大正11年に八馬兼介氏の諸会社の建築顧問となり、翌年市庭町に建築事務所を構える。◆ 大社村が昭和8年に西宮市に合併したのち、昭和25年元村役場だったこの建物を六湛寺に移築した。建設費は株式会社辰馬悦蔵商店の寄付金による。◆ 市民館と歩道の間に地下道入口のように見えるのは防空壕の跡。昭和42年に市民会館ができたため、衛生課の事務所となり、新市庁舎建設に伴い昭和48年に取り壊し駐車場となる。防空壕跡は、地下駐車場の出入口になっている。◆ 写真は市役所前歩道から見ている。
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