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資料解説
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昭和39年、厚生年金会館を誘致しようと、本庁舎周辺は様々に議論された。誘致は実現できなかったが、厚生年金会館誘致で検討重ねたことを契機に、市庁舎周辺の整備が進む。市民会館の建設用地となった水道局・市立図書館とその北側庁舎に入っていた部署が移転となる。◆ 写真は旧武徳殿の西側駐車場に建ったパイプハウスの仮設庁舎を写す。昭和41年4月、この仮設庁舎に建設第1課・第2課、住宅課が入り、先んじて、昭和40年9月から都市計画部、土木部、建築部が旧武徳殿に入っており、建設局がほぼ集まった形となる。◆ 南側に見える看板は甲子園球児の宿舎でもあった旅館山翠。昭和30年代、球児は甲子園球場まで阪神電車で移動していた。昭和32年、春の選抜で優勝した王貞治選手(早稲田実業高校2年生)も東口駅で下車し、優勝旗を掲げて旅館まで行進したという。
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