資料解説
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戦前、この一帯は鳴尾(阪神)競馬場や南運動場、阪神パークなど多くのレジャー施設でにぎわいましたが、戦時中次々と閉鎖され軍の関連施設になり、戦後は進駐軍キャンプとして接収されました。接収が解除されたのは昭和32年12月。昭和34年に市、住宅公団、武庫川学院、阪神電鉄などに払い下げられ、大部分は当時不足していた住宅建設に充てられました。市は当初この地に県立の工業高校誘致を進めていましたが、戦後のベビーブーム世代が高校入学を迎えるに当たって市内の生徒の多くが進路として希望していた普通科高校を市で設置する決断をしました。市立西宮東高等学校の第一期工事は昭和37年9月に着工され、翌38年4月に開校を迎えました。第一期工事で建設された校舎は現・南校舎の東部分に当たります。
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