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資料解説
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国道176号名塩交差点付近から南へそれると500mほどの旧道に入ります。写真左端に少し写る民家は幕末の蘭学者・緒方洪庵の妻、八重の実家跡です。洪庵が大阪で経営した適塾の塾頭・伊藤慎蔵は、八重夫人の世話で結婚した名塩出身の妻・時子の養生のため、家族で名塩に移り住みます。文久2(1862)年、慎蔵は八重の父・億川百記や、同じく適塾出身で名塩の大漉元・弓場五郎兵衛家の当主・弓場為政の熱心な勧めにより、億川家の一室に蘭学塾を開きました。名塩の蘭学塾は明治2(1869)年に伊藤慎蔵が神戸洋楽伝習所の教授に就任したことから約8年で閉じられますが、塾の名声を聞いて近在から多くの若者が集まり、一室では収容しきれないほどの盛況ぶりだったようです。昭和42年5月、旧億川邸に農協を増築した際に「名塩蘭学塾跡」の石柱が、45年には緒方八重のブロンズ像が建てられました。昭和63年には塩瀬農協創立40周年を記念して、胸像の台座をコンクリート製から四国産の青石に改修され、八木米次市長(当時)がそこに「蘭学の泉ここに湧き出ず」と揮毫しました。また、新たに八重の一生を解説した石碑も設置されました。
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