資料解説
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し尿の収集処理は、かつて農家と民間業者によって行われていましたが、肥料としての利用が減少する反面、回収量は年々増加し、し尿の終末処理が重大な問題となっていました。昭和27年2月、市の直営による汲取りを開始し、翌28年、し尿の海上投棄を始めました。写真は、バキューム車から貯留船に、貯留船から昭和31年に購入したし尿処理船「津門川丸」にし尿を移す作業をしています。当時は1日2回大阪湾の西宮沖合16000mに投棄が行われていました。昭和30年代には幾度も終末処理施設建設を計画し建設場所を求めましたが、その度に地元等の反対で実現せず、海上投棄に頼らざるを得ませんでした。昭和40年8月、大阪・兵庫両府県は大阪湾汚染防止を目指し、湾内へのし尿投棄を昭和42年までには中止することを申し合わせました。西宮市も同10月に枝川町の鳴尾浜国有地にし尿・下水併用の終末処理場の建設が決定しました。昭和41年11月建設に着手し、43年10月には全量の処理が可能となりました。これにより昭和43年12月、阪神間各市に先がけて、し尿海洋投棄が廃止されました。
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