資料解説
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第二阪神国道(国道43号)は戦前から計画され、昭和21年決定の「復興都市計画街路」によって着手された「浜手幹線」が基になっています。戦後すぐ本格的に工事が進み、昭和32年には建設省(当時)直轄工事となり、阪神間の大動脈としての役割を期待されました。写真は工事で一番の難所のひとつ、「甲子園陸橋」の工事風景です。この付近には甲子園球場をはじめ、阪神パークや甲子園プール、甲子園海水浴場などがあり、季節を問わず多くの人々が行き交います。国道を高架にし、さらに当時の最新工法を使って橋脚の間隔を約70mと非常に広くとることで、阪神甲子園駅からレジャー施設までの人の流れをスムーズにするだけでなく、高架下を観光バス等の駐車場としても利用できるようにしました。阪神甲子園線の路面電車が走っています。
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