資料解説
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現在国道171号となっている道路は、昭和16年起工の西国街道土地区画整理で計画された“新西国街道”とも呼ばれた道でした。戦時体制の強化に伴い事業は中断を余儀なくされましたが、青木交差点以東は幅員15~17mの幹線道路となり、京阪神の往来は大いに促進されました。しかし、昭和30年代のモータリゼーションの発達で国道171号には日に2万台以上の通行量があり、絶えず混雑するようになっていました。昭和43年度、建設省(当時)は万博関連事業として国道171号改良を正式に決定します。西宮市内の工事については、戦前に整備されていた甲武橋から青木町交差点間の拡幅と青木町交差点から阪急神戸線までの延長を建設省が実施し、阪急線から国道2号までは西宮市の区画整理事業として整備することになりました。建設省による拡幅工事が本格的に始まったのは昭和44年7月。万博開催までの短期間で突貫工事が行われました。その甲斐あって、工事は開幕までに無事完了し、昭和45年3月11日甲武橋東詰めで開通式が行われました。
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