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資料解説
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戦後、通りの北側に映画館「甲子園劇場」ができたことから劇場通り商店街と呼ばれました。後に「甲子園口センター街」となります。通りの西側には戦前に開設された「甲子園市場」の入口がありました。この辺りは昭和初期までは平地に田畑が広がる農村地帯でした。しかし、昭和7年5月、省線(JR)東海道線吹田-須磨間電化計画の発表が風景を一変させる契機となりました。明治7年の省線開通以来、村内に駅のなかった瓦木村は新駅設置請願書を鉄道大臣に提出。猛烈な新駅設置競争の末、昭和8年5月、新駅設置費全額9万2千円(当時の瓦木村経常歳出のおよそ2年分に当たる額)と約1、500坪の用地の寄付を条件に設置許可が内諾されました。また、昭和8年には新駅設置の機運から、国道2号から省線に至る地区で甲子園口土地区画整理組合が設立され、1万7千円と駅南部の用地850坪は組合から寄付されることとなりました。こうして村長以下の尽力の結果、昭和9年7月に念願の甲子園口駅が開設されました。甲子園口土地区画整理組合の事業により、駅前に商店街、周辺には閑静な住宅街が広がる街になりました。
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