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資料解説
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戦前、枝川町一帯は鳴尾(阪神)競馬場や南運動場、阪神パークなど多くのレジャー施設でにぎわいましたが、戦時中次々と閉鎖され臨港線以南は軍の関連施設になり、戦後は進駐軍キャンプとして接収されました。接収が解除されたのは昭和32年12月のことです。昭和34年に市、住宅公団、武庫川学院、阪神電鉄などに払い下げられ、大部分は当時不足していた住宅建設に充てられました。団地内には住宅公団と市の共同事業として浜甲子園小学校・浜甲子園中学校が建設されました。浜甲子園小学校は昭和38年4月、4年生以下138名の児童で開校し、昭和43年には1、649名40学級までになりました。昭和44年東甲子園小学校が開校し313名の児童が転出してからは、時代とともに児童数が減少し続け、平成9年浜甲子園小学校と東甲子園小学校が合併し、甲子園浜小学校が開校しました。
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