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資料解説
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かつて貿易商を営んでいた大阪の芝川家は、明治17年に甲東村の土地を入手します。しかし当時このあたりは砂礫混じりの赤土で田畑には不向きなため、果樹園にしようと、甲州ぶどうの栽培に成功した大阪の中野喜平氏を監督として迎え入れます。明治29年に開園した甲東農園(後の甲東園)では、次々と果樹や鑑賞樹の植え付けが行われました。 甲東梅林は芝川氏の甲東園の名残とされています。昭和25年、甲東園の一部に甲陵中学校の新設校舎が建設されました。運動場敷地にあった梅林は現在の地に移され、甲陵中学校の歴代生徒、PTA、地域の人々が共に手入れを進めました。 昭和37年に甲東公民館が開館したことで、梅林は甲陵中学校の敷地から切り離されました。現在も「梅びらき」には多くの人々が訪れます。
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