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資料解説
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嘉永6年(1853)、ペリー率いるアメリカ艦隊が江戸湾に来航、翌年にはプチャーチン率いるロシア艦隊が大阪湾に来航するなど、それまで限られた国と交易をしていた日本に対し、開国を要求する外国船がたびたび現れるようになった。文久期(1861~64)以降、幕府は天皇のいる京都に近い大阪湾岸の防備を強化するため、自ら台場の築造に乗り出し、西宮と今津には、石堡塔と外郭を備えた台場を築いた。 本資料は、今津台場の築造に関する手控え帳。石材の運送・石積工事の落札価格、慶応2年(1866)3月23日から着手した土砂等の輸送経費、切端石・栗石の輸送経費や人足賃の値上げなどが記録されている。慶応2年の作成であり、「石堡塔雨漏り」などの記載もみられることから、工事はある程度進んでいたことが推測され、この時点における石材の運搬や石積みの作業は、外郭の工事に関するものと思われる。 本資料を含む「西宮・今津御台場築造関係史料」は市指定重要有形文化財(古文書)に指定されている。
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