資料解説
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嘉永6年(1853)、ペリー率いるアメリカ艦隊が江戸湾に来航、翌年にはプチャーチン率いるロシア艦隊が大阪湾に来航するなど、それまで限られた国と交易をしていた日本に対し、開国を要求する外国船がたびたび現れるようになった。文久期(1861~64)以降、幕府は天皇のいる京都に近い大阪湾岸の防備を強化するため、自ら台場の築造に乗り出し、西宮と今津には、石堡塔と外郭を備えた台場を築いた。 本資料は、勘定吟味方改役林又七郎、勘定矢口浩一郎宛に作成された、基礎工事に用いる胴盤木や杭木、石材、木材の調達に関する上申書。石の切り出しは順調だが、杭木の調達については価格交渉が難航している様子がうかがえる。 本資料を含む「西宮・今津御台場築造関係史料」は市指定重要有形文化財(古文書)に指定されている。
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