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資料解説
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嘉永6年(1853)、ペリー率いるアメリカ艦隊が江戸湾に来航、翌年にはプチャーチン率いるロシア艦隊が大阪湾に来航するなど、それまで限られた国と交易をしていた日本に対し、開国を要求する外国船がたびたび現れるようになった。文久期(1861~64)以降、幕府は天皇のいる京都に近い大阪湾岸の防備を強化するため、自ら台場の築造に乗り出し、西宮と今津には、石堡塔と外郭を備えた台場を築いた。 文久3年(1863)8月5日から同年9月15日までの西宮・今津台場の築造にかかった経費の報告書。『西宮今津御台場築造八月五日より九月十五日迄御入用高』と記載内容は一致するが、順序が異なる。西宮・今津台場の築造が始まった頃の初期工事にかかる経費が記されており、当該時期には、井戸周りの杭打ち等の作業と並行して町奉行方与力・同心が詰める小屋の建設が進められていた。 本資料を含む「西宮・今津御台場築造関係史料」は市指定重要有形文化財(古文書)に指定されている。
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