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タイトル 説明文
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田無市史
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田無市は、平成3年3月から平成7年1月までに「田無市史」全4巻を発行しました。そのうち、第3巻通史編と第4巻民俗編を掲載しています。 目次から該当ページがご覧いただけます。古文書の画像も一部分掲載しています。
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保谷市史
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保谷市は、昭和61年2月から平成元年1月までに「保谷市史」全8巻を発行しました。そのうち、通史編1~4を掲載しています。 目次から該当ページがご覧いただけます。古文書の画像も一部分掲載しています。
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田無村御検地帳
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この検地帳は、いわゆる元禄の地方(ぢかた)直し、すなわち元禄三(一六九〇)年の検地の結果を田無村へ下げ渡された正本です。また、本文に「田無村御検地水帳七册」とみえているように、元禄の田無村検地帳は、七册に編成されていて、ここに採録したのはそのうちの第七册目です。
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地租改正絵図
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明治6年に公布された土地制度・課税制度の改革のための地租改正条例により、明治8年6月に作られた旧田無市域の地籍図の原点です。一筆ごとの地番・地目・小家・道路・川・水路などが色彩豊かに記録され、その大きさ、緻密さは当時の人々のエネルギーや労苦を今に伝える貴重な文化遺産でもあります。西東京市の文化財に指定されています。 旧田無の地域図3巻と、東久留米市内にあった田無飛地の図1巻と絵図編成に関与した者の奥書1巻の計5巻が軸物として保存されています。 重ね図・並べ図は、現在の地図と比較するために、地域図を合成し部分的に縮尺を変えるなど加工を施しています。そのため、現在の地図と正確に一致させることは難しいことをご承知おきください。
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柳沢つげの手紙
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現存するつげの手紙は、明治六~九年の間に交わされた四十七通(断片を除く)です。敏克もこれに応じていることが文面から分かりますが現存するのは一通だけです。この手紙は敏克在任間の辞令等とともに、娘の直(なお)の嫁ぎ先(西東京市の浜中家)に伝わっていました。市に寄贈された後、現在は西東京市図書館に所蔵されています。
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大絵図
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明治6年に公布された土地制度・課税制度の改革のための地租改正条例により、明治9年12月に作られた旧保谷市域の地籍図の原点です。一筆ごとの地番・地目・小家・道路・川・水路などが色彩豊かに記録され、その大きさ、緻密さは当時の人々のエネルギーや労苦を今に伝える貴重な文化遺産でもあります。 旧保谷の上保谷地域図2点と下保谷地域図2点の計4点が保存され、新町にあたる地域図は確認されていません。 重ね図・並べ図は、現在の地図と比較するために、地域図を合成し部分的に縮尺を変えるなど加工を施しています。そのため、現在の地図と正確に一致させることは難しいことをご承知おきください。
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田無・保谷のおはなし
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田無・保谷に残るおはなしなどをもとに創作した物語を、大型紙芝居にして公開しています。1980年から「絵本を考える会」と「ぐるーぷ絵本」により、制作されました。原本は1点しかなく、現在もおはなし会などで活用されています。
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下野谷遺跡 出土品
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下野谷遺跡は、西東京市東伏見にある今から5~4千年前の縄文時代中期の南関東最大級の集落遺跡です。石神井川を南に望む高台に立地する東西2つの集落からは、大量の土器や石器などが出土しています。平成27年3月に国史跡に指定されました。 縄文土器は、鍋や水がめ、盛り鉢などの容器に使われたほか、住居の床に埋設され、炉の灰をためたりする場として使用されたり、墓の中に埋葬されたりもしました。 土器は、形態や文様のつけ方などに時代や地域ごとの一定の決まりごとにより「型式」とよばれるタイプに分類され、最初に認定された遺跡名を冠した型式名がつけられています。下野谷遺跡からは、関東地方の縄文時代中期後半前葉の「勝坂(かつさか)式」、後葉の「加曽利(かそり)E式」が主に出土しています。 縄文土器に独特な縄を転がす手法や、粘土紐を貼りつけ造り出す複雑で躍動的な形や模様からは、縄文人の芸術的な感性も感じられます。
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