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タイトル 富士登山の図
タイトル(カナ) フジトザンノズ
タイトル(ローマ字)
タイトル関連
タイトル関連(カナ)
タイトル関連(ローマ字)
欧文タイトル
タイトルに関する注記
作成者 不明
作成者(カナ)
作成者(ローマ字)
発売・製作者
発売・製作者(カナ)
発売・製作者(ローマ字)
製作年 江戸時代
製作年終
数量 1枚
形状 絵馬
大きさ
大きさ(縦) 77cm
大きさ(横) 90cm
大きさ(高さ)
材質 木製
形態に関する注記
保存状況
縮尺
その他の注記
言語
ISBN
ISSN
主題
主題(カナ)
主題(ローマ字)
関連する地域・場所 大網白里市南今泉
関連する地域・場所(カナ) オオアミシラサトシミナミイマイズミ
関連する地域・場所(ローマ字)
関連する人物・団体
関連する人物・団体(カナ)
関連する人物・団体(ローマ字)
内容年
内容年終
内容
内容(カナ)
内容(ローマ字)
解題・説明 富士登山を記念して奉納されたものである。古来、富士山は秀麗な山容と農耕神的性格によって人々の素朴な信仰を集め、また山頂や洞穴は浄土あるいは他界として神聖視されてきた。中世になると、富士山は修験(しゅげん)の道場として有名になった。神仏習合を経て、富士信仰は浅間大菩薩を主神としての形をととのえた。そして江戸時代には富士信仰は民衆を主体とする宗教に成長し、享保年間(1716-36)に現われた食行身録(じきぎょうみろく)や村上光清らの布教によって民衆宗教としての教義が確立された。信仰は中下層の商人・職人・農民中心の講であったが、幕府は同業者の相互扶助的な色彩を疑い、寛保2年(1742)以降、度々禁止令を出した。しかし、その後も富士講の勢力は衰えることなく続いていった。「富士登山図」は、県内各地の神社に多数奉納されているばかりか、関東各地においてもまた同様である。
解題・説明(英語)
来歴
来歴(英語)
所蔵機関 稲生神社
原資料の所在地 稲生神社
資料番号 稲生神社0019
管理記号
カテゴリ区分 立体物
資料種別 民俗資料、絵馬
資料分類(大分類) 中世・近世の大網白里-近世
資料分類(中分類)
資料分類(小分類)
文化財情報
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参照データ
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関連画像URL
自治体史掲載
出版物・関連資料 「大網白里町の絵馬」p26
翻訳元の言語
権利関係・利用条件
原資料の利用条件
権利関係・利用条件に関する注記
緯度・経度・高度に関する注記
DOI
既刊目録名
デジタル化の経緯に関する注記
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