【縄文時代編】

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 大網山田台遺跡群では、縄文時代早期(約7,000~5,000年前)の竪穴住居が数件検出されており、それに伴う土器片がNo.4地点の南前野遺跡から出土しています。大網白里市に隣接する千葉市の土気では集落跡や貝塚が発見されていることから、温暖化に伴い海面が上昇した「縄文海進」の形跡が見られます。
 縄文中期(約5,000~4,000年前)になると人口が増加し、No.6地点の一本松遺跡からは環状集落跡が検出されています。18軒の住居が円を描くようように配置されていますが、同時期のものは2~3軒と思われます。この縄文土器はその一本松遺跡から出土した深鉢です。
 また、No.4地点の南前野遺跡の竪穴住居跡からは、高さ約50cmの縄文土器の深鉢が出土しています。同じ住居跡から長さ約30cmの石棒が2本、南壁付近から出土しています。この石棒はかなり破損して、破片が散在していることから、意識的に破棄したものと思われ、祭祀色の強い出土状態と言えます。

No.4地点H31

縄文後期(約4,000~3,000年前)から晩期にかけて遺構や遺物の検出が少なくなっていることから、台地上では、人口が減少しはじめたと考えられます。この時代の土器としては、No.6地点の一本松遺跡から深鉢が出土しています。