大網白里市年表

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No 時代 年月日表記 西暦 できごと できごと
1 先土器時代 沓掛遺跡(貝塚)からこの頃使用した石器など出土。 ヴュルム氷期―大陸と陸続きとなる。
2 先土器時代 大網山田台No.3遺跡から多くの石器類出土。
3 先土器時代 狩猟を中心とした半定住生活。
4 縄文時代(B.C.7000) 西方台地においてこの頃の土器片採集される。
5 縄文時代(B.C.4000) 海進のピーク。大網の丘陵地帯に海が入る。 沿岸部の低地が海面下に没する。
6 縄文時代(B.C.3000) 大網山田台No.5遺跡においてこの頃の住居跡発見される。 遺跡数が増加する。
7 縄文時代(B.C.2500) 海退が進み、平野部にも人が住み始める。増穂上貝塚。 関東地方において以後後期まで貝塚が多く形成される。
8 縄文時代(B.C.1500) 定住生活を強める。小西養安寺遺跡・金谷郷沓掛貝塚・萱野平台遺跡(貝塚)。 漁撈・採集活動の比重が高まる。
9 縄文時代(B.C.500) 白里地区まで海岸線が後退。
10 縄文時代 北九州において稲作開始。
11 弥生時代(A.D.100) 関東地方において稲作開始。
12 弥生時代(A.D.200) 増穂地区各地からこの頃の土器片採集される。
13 弥生時代 「魏志倭人伝」に邪馬台国の記載。
14 古墳時代(A.D.300) 大網山田台No.3遺跡でこの期の集落跡・墓跡が発見される。
15 古墳時代 各地に小国家が成立。
16 古墳時代(A.D.350) 沓掛遺跡、小西宮山遺跡、増穂上貝塚で集落跡・土器発見される。
17 古墳時代 「仁徳陵」や「応神陵」などの大古墳が築かれる。
18 古墳時代(A.D.500) 大網山田台遺跡群を始めとして、本町西方の台地・丘陵地帯の多くの場所に集落があらわれた。
19 古墳時代 県神社古墳群築かれる。
20 大化元年 645 大化の改新。
21 古墳時代 高海横穴群を始めとして丘陵のあちこちに横穴群が築かれる。
22 大宝元年 701 大宝律令制定。
23 和銅元年 708 平城遷都。
24 奈良時代 引き続いて台地・丘陵地帯に集落が営まれる。
25 和銅5年 712 「古事記」完成。
26 養老4年 720 「日本書紀」完成。
27 天平勝宝4年 752 東大寺大仏完成。
28 奈良時代 引き続いて横穴が丘陵に多く築かれる。
29 延暦13年 794 平安遷都。
30 天安元年 857 藤原良房、太政大臣となる。以後、藤原氏が権力をにぎる。
31 平安時代 大網山田台No.3遺跡において「山口万」の墨書土器出土。
32 平安時代 九十九里平野に多くの集落が成立。海岸平野の本格的な開発が始まる。
33 寛平2年 890 藤原菅根ら、藻原荘を興福寺に施入。
34 寛平3年 891 菅原道真右大臣となる。
35 天慶2年 939 平将門の乱おこる。
36 万寿4年 1027 平忠常の乱おこる。
37 長元4年 1031 平忠常、京都に護送される途中、美濃にて死亡。
38 大治元年 1126 千葉常重、千葉庄亥鼻山に築城するという。
39 保延6年 1140 橘木庄、比丘尼蓮西の父である藤原通憲により安楽寿院に寄進。
40 保元元年 1156 保元の乱。
41 平治元年 1159 平治の乱。
42 仁安2年 1167 平清盛、太政大臣となる。
43 治承4年 1180 源頼朝の挙兵、千葉常胤ら房総の武士が活躍する。 源頼朝挙兵。
44 治承4年 1180 「源平闘諍録」の記載によれば、十月一日平広常は頼朝を安房から上総国府に迎えている。
45 寿永2年 1183 上総権介広常、鎌倉の営中で誅される。
46 文治元年 1185 平氏滅亡。
47 建久3年 1192 源頼朝、鎌倉幕府を開く。
48 承久3年 1221 承久の変。
49 建長5年 1253 日蓮、法華宗を始む。
50 文永11年 1274 文永の役。
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