大網白里市年表

キーワード:中世
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No 時代 年月日表記 西暦 できごと できごと
1 寛平2年 890 藤原菅根ら、藻原荘を興福寺に施入。
2 寛平3年 891 菅原道真右大臣となる。
3 天慶2年 939 平将門の乱おこる。
4 万寿4年 1027 平忠常の乱おこる。
5 長元4年 1031 平忠常、京都に護送される途中、美濃にて死亡。
6 大治元年 1126 千葉常重、千葉庄亥鼻山に築城するという。
7 保延6年 1140 橘木庄、比丘尼蓮西の父である藤原通憲により安楽寿院に寄進。
8 保元元年 1156 保元の乱。
9 平治元年 1159 平治の乱。
10 仁安2年 1167 平清盛、太政大臣となる。
11 治承4年 1180 源頼朝の挙兵、千葉常胤ら房総の武士が活躍する。 源頼朝挙兵。
12 治承4年 1180 「源平闘諍録」の記載によれば、十月一日平広常は頼朝を安房から上総国府に迎えている。
13 寿永2年 1183 上総権介広常、鎌倉の営中で誅される。
14 文治元年 1185 平氏滅亡。
15 建久3年 1192 源頼朝、鎌倉幕府を開く。
16 承久3年 1221 承久の変。
17 建長5年 1253 日蓮、法華宗を始む。
18 文永11年 1274 文永の役。
19 弘安4年 1281 弘安の役。
20 元弘3年 1333 鎌倉幕府の滅亡。
21 建武元年 1334 建武中興。
22 建武2年 1335 南北朝内乱の余波で、千葉一族分裂して、千田庄で合戦。
23 延元元年 1336 「後醍醐天皇倫旨」によれば山辺南北とあり、山辺南郡・北郡の春日部判官重行跡の地頭職が若法師以下に安堵されている。
24 延元3年 1338 足利尊氏、室町幕府を開く。
25 天授元年 1375 山辺南北・武射南北の四郡は国衙領として市原八幡宮の左右六所宮二宇造営の国役を負担。
26 応永23年 1416 上杉禅秀の乱おこる。
27 応永25年 1418 褝秀余党の上総本一揆が蜂起する。
28 応永26年 1419 鎌倉公方足利持氏の御教書に「同国土気郡堀代郷駒込・赤荻両村」とある。
29 康正元年 1455 千葉氏の内紛(多古合戦)。
30 長禄2年 1458 原胤継、小西正法寺を創建。
31 応仁元年 1467 応仁の乱。
32 文明17年 1485 山城国一揆。
33 長享2年 1488 土気城主酒井定隆、領内の寺院を日蓮宗に改宗させる(上総七里法華)。
34 明応4年 1495 北条早雲、小田原に拠る。
35 天文7年 1538 国府台前役おこる。
36 天文12年 1543 ポルトガル人、種子島に来る(鉄炮の伝来)。
37 永禄7年 1564 国府台後役おこる。
38 永禄8年 1565 酒井胤治書状中に「金谷郷」の名が見える。
39 永禄12年 1569 「土気古城再興伝来記」所収の酒井康治願文に、康治が願主となり「土気郡大網郷宮谷本国寺鎮守社春日神社」の造営を行う、とある。
40 永禄13年 1570 原能登守(小西殿)、千葉寺下にて討死。
41 天正3年 1575 長篠の戦い。
42 天正16年 1588 秀吉、刀狩り令を発す。
43 天正18年 1590 豊臣秀吉、小田原城を攻略し、北条氏を滅ぼす。北条氏傘下の土気酒井氏、東金酒井氏も滅亡する。 秀吉、天下統一。
44 天正18年 1590 徳川家康、関東に入国し、領国支配に着手する。
45 天正18年 1590 小西檀林開設。
46 天正19年 1591 三浦監物重成が本佐倉を本拠に大網村などを含め一万石を所領する。
47 天正19年 1591 家康、蓮照寺(一〇石)など町域の寺社に朱印地を寄進する。それらの朱印状に、「土気本郷」(本寿寺)、「土気之郷」(県神社)などの記載がある。
48 天正19年 1591 仏島村・経田村・清名幸谷村で徳川天正検地が実施される。
49 慶長2年 1597 常楽院日経、お塚山に方墳寺を建立し、寺院境内に五輪塔一基を造立する。
50 慶長5年 1600 三浦監物重成、佐倉から一万三〇〇〇石に加増されて、近江国に移封される。大網村などとの支配関係は、その後も続く。 関ケ原の役。
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