解題・説明
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頼朝が富士の裾野で大規模な狩を行っているところを描いた図である。中世の武士たちが射技の練武と遊興を兼ねて、鹿・猪などの生育地域を狩場として行った競技に狩競(かりくら)がある。多人数で山林原野に分け入り、獲物を争って狩くらべをするところからきており、源頼朝の下野国那須野・信濃国三原・駿河国富士野などの狩競はよく知られているところである。狩場の周囲から多数の勢子(せこ)や追出犬を入れ、囲いを縮めながら獲物を狩り出させ追い詰めて射取る大規模な狩競を巻狩という。これは狩猟を目的に山野を歩き回り、それによって武士団としての集団訓練を意図したものと考えられる。頼朝は、征夷大将軍に就く前年の建久3年(1192)5月8日から6月7日にかけて、駿河国藍沢と富士野において規模の大きい巻狩を行っている。さらに翌建久4年にも行っている記録が残っている。
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