解題・説明
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20数名のお針子達が、師匠の指導を受け型紙を当て裁断したり、あるいは着物を縫ったりしている場面を描いた図である。画面右奥には、師匠と思われる婦人が描かれ、顔の線・構図・色彩ともによい。現在の和服は、その源流をたどると室町時代の小袖帯に始まる。そして、江戸時代になると泰平の世が続いていっそう華美なものやしゃれたものになった。江戸時代中期になると、小袖といえば絹物の綿入れに限ってさすように定まった。反物もこのころになると、現在と同じ並幅(36cm)に限定され、縫い方の技術も洗練されつくしたものとなった。「裁縫教室の図」は江戸時代末期から大正時代にかけてしばしば絵馬の画題となり奉納されている。その背景には、日常生活における和服の着用、縫製技術の向上と結婚前の教養の一つとして、習い事が庶民生活に一般化していったことなどが考えられる。いずれにしても当時の世相を映すモチーフといえる。山武郡市内では、九十九里町西野の淡島神社にお針子中が奉納した数10点の大絵馬を観ることができる。
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