解題・説明
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富士登山を記念して奉納されたものである。古来、富士山は秀麗な山容と農耕神的性格によって人々の素朴な信仰を集め、また山頂や洞穴は浄土あるいは他界として神聖視されてきた。中世になると、富士山は修験(しゅげん)の道場として有名になった。神仏習合を経て、富士信仰は浅間大菩薩を主神としての形をととのえた。そして江戸時代には富士信仰は民衆を主体とする宗教に成長し、享保年間(1716-36)に現われた食行身録(じきぎょうみろく)や村上光清らの布教によって民衆宗教としての教義が確立された。信仰は中下層の商人・職人・農民中心の講であったが、幕府は同業者の相互扶助的な色彩を疑い、寛保2年(1742)以降、度々禁止令を出した。しかし、その後も富士講の勢力は衰えることなく続いていった。「富士登山図」は、県内各地の神社に多数奉納されているばかりか、関東各地においてもまた同様である。
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