解題・説明
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二川より一里半(6km)「吉田通れば二階から招く、しかも鹿の子の振り袖が…」と歌われた吉田の宿である。吉田は城下町として栄えたところで、明治2年(1869)に豊橋と改称された。当時の城主は松平伊豆守7万石で、城は豊川のほとりにあって、街道の東に見えた。安藤広重は城を画面右角に覗かせ、足場の上には3人の左官職人を描き画面に動きとユーモアを与え、また大橋には大名行列を渡している。稲生神社の「吉田の図」は広重の構図とは逆方向から捉えているため、城の様子がわかり易い。また、背景には小高い山並みも描かれ、遠近法の効果は洋画風でリアルな描写に仕上げている。
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