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市町村合併以前の自治体史
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旧大田原市が編纂発行した『大田原市史前編』、『同後編』、『同史料編』と、旧湯津上村が編纂発行した『湯津上村誌』、旧黒羽町が編纂発行した『黒羽町誌』をデジタル化・フルテキスト化(史料編は一部)しています。
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古絵図の世界
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大田原城とその城下関係の絵図10点と、黒羽城とその城下関係絵図6点、那須与一にはじまる那須氏が近世期に居館を置いた福原村の絵地図1点を高精細デジタル画像化しています。
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屏風・錦絵
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元暦2(1185)年2月、那須与一宗隆は屋島で扇の的を射落とし、喝采を浴びたといいます。与一の活躍は、『平家物語』や『源平盛衰記』といった軍記物語だけでなく、屛風絵や錦絵という形でも後世に語り継がれました。ここでは、与一の活躍を描いた屛風や錦絵を10点掲載します。
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東野鉄道資料
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東野鉄道は、西那須野~黒羽~那須小川を結んでいた鉄道です。八溝山系にある林産物をはじめ、農産物や旅客を輸送することを目的とし、大正7(1918)年に西那須野~大田原~金丸原~黒羽が、大正13(1924)年に黒羽~湯津上~佐良土~那須小川が開通しました。当初は茨城県大子町への延伸を計画していましたが、第一次世界大戦・日中戦争の勃発や国鉄長大線の敷設計画等の影響により断念。昭和14(1939)年には、黒羽~那須小川が廃止されました。その後、モータリゼーションには敵わず、昭和43(1968)年に全線廃止となりました。ここでは、初公開も含む貴重な図面やその他資料を掲載します。
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大田原藩関係資料
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大田原藩は、下野国那須郡大田原城を居城とした外様大名で、領地は那須郡・塩谷郡・芳賀郡に跨り、石高は1万1,416石でした。藩主は、江戸時代を通じて大田原氏でした。大田原藩は、藩の名前・居城の名前・藩主の名前が全て同じという、全国でも珍しい藩でした。大田原藩に伝来した資料は散逸しているため、現存する古文書や絵図等はどれも貴重です。ここでは、大田原藩主に充てた書状5点、大田原藩主の書状の控え2点、安政3(1856)年に那須野が原で行った軍事訓練の絵図2点、秣場争論図1点のほか、大田原飛騨守所用と伝わる陣笠1点、家老家に伝来した甲冑と火事兜を掲載します。
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遺跡出土品
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羽田長者ヶ平遺跡は、那須扇状地の扇央部の延長約5kmに位置する縄文時代中期・後期を中心とした大規模な集落跡です。この台地上は、かつて大規模な畑地であり、多数の土器片が散布し採集できたことから、「昔、長者の屋敷があった」という伝説が生まれ、地名の由来となりました。平成11年(1999)の発掘調査により、住居跡2軒、土坑8基が確認されました。そのうち1基の袋状土坑から16点の土器がまとまって出土しました。若干の時間差はあっても同時期に使用され廃棄されたものと考えられ、福島県会津地方を経由して伝わった北陸系の火炎土器、会津の文様要素を取り入れて那須地方で発達した土器(浄法寺類型)、那須でつくられた在地色の強い土器、関東系の土器など、多様な系統の土器がつくられていたことがわかります。これらの土器のうち7点が市指定文化財(考古資料)に指定されており、関東と東北の文化的特徴を併せ持った那須の縄文土器の特徴を色濃く示しています。
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