市史事項

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No 年号 西暦 事項文 事項文
1 二ツ室塚、下侍塚から先土器時代の石器が発見されている
2 〔縄文〕中期 岩船台、品川台、片府田富士山遺跡外
3 〔縄文〕後期 岩船台、品川台、片府田富士山遺跡外
4 〔弥生〕晩期 岩船台、品川台、片府田富士山遺跡外
5 〔弥生〕晩期 稲作の開始と金属器使用
6 三世紀 高野(こうや)、坊の内、高内(たこうじ)から土師器(はじき)出土
7 四世紀 豊城入彦命に東国を支配させたという
8 五世紀 侍塚古墳築造さる(古墳が次第に大型化する)
9 朱鳥一年 686 この年佐良土温泉神社創建されたといわれる
10 〔持統一年〕 687 帰化した新羅人を下野に住まわせる
11 (文武)四年 700 那須国造韋提死す
12 (文武)四年 700 国造の碑を建てる
13 宝亀二年 771 東山道通ずる(三和、磐上、黒川を通過奥州に入る)
14 宝亀二年 771 小松原遺跡
15 貞観二年 860 光丸山・法輪寺創建
16 延久四年 1069 那須氏の祖須藤貞信那須郡を賜わり、湯津上村もその治下となる
17 大治五年 1130 湯津上威徳院創建(一説に嘉吉二年ともいう)
18 〔文治一年〕 1185 蛭田温泉神社、佐良土諏訪神社、新宿温泉神社、蛭畑温泉神社、片府田温泉神社創建
19 建久一年 1190 上蛭田十二神社創建
20 貞和一年 1345 頂蓮寺の板碑に貞和元年(北朝)同二年のものあり
21 貞和四年 1348 小船渡二荒神社創建
22 嘉吉三年 1443 片府田宝寿院創建
23 明応七年 1498 蛭田頂蓮寺創建
24 永正一一年 1514/8 大田原備前守外上那須勢蛭田原より福原の資永を攻め亡ぼす(上那須氏ほろぶ)
25 永正一七年 1520 白河の義永佐良土の民家を焼き浄法寺に那須資房と戦って敗退す
26 永禄九年 1566 高ノ巣城主大金豊後守、烏山治部内山にて戦死す
27 永禄一〇年 1567 那須資胤、佐良土河原より大金備後守を広瀬に攻める
28 天正一八年 1590/7 那須資晴、秀吉の小田原攻めに不参加の故をもって烏山八万石を没収され、五千石にて佐良土に閉居させらる
29 文禄一年 1592 資晴、九州名護屋に従軍す
30 慶長五年 1600 資晴家康方につく
31 慶長一四年 1609 資晴死す五十四才
32 寛永四年 1627 真理谷清雲死す
33 寛永一五年 1638 狭原温泉神社創建
34 明暦一年 1655 那珂川黒羽河岸開設
35 延宝四年 1676 僧円順国造碑のことを大金重貞に知らす、大金重貞那須記十六巻を著作
36 天和三年 1683 大金重貞、水戸光圀に那須記を贈り、国造碑のことを報告する
37 貞享四年 1687 水戸光圀碑堂建立を重貞に命ず
38 元禄四年 1691 碑堂建立のため敷地買収等準備に着手す、光圀の命により上・下侍塚を発掘調査す
39 元禄五年四月 1692/4 碑堂完成
40 元禄五年六月 1692/6 光圀来村
41 元禄一四年 1701 真理谷八郎右術門信広死す
42 享保一八年 1733 木曽武元、那須拾遺記十六巻を著す
43 寛延一年二月 1748/2 諸葛琴台蛭田に生る
44 文化七年一一月 1810/11 琴台死す
45 明治元年五月二日 1868/5/2 大田原城の攻防戦で大田原藩校時習館焼失。
46 明治元年六月一四日 1868/6/14 真岡県成立し、市域の天領九か村が支配される。
47 明治元年九月二七日 1868/9/27 大田原藩兵、彦根・阿波・黒羽各藩と共に片府田に会津若松脱走兵と追撃戦を行う。
48 明治一年 1868/9 片府田、佐良土にて大田原、黒羽軍水戸脱藩兵(諸生党)を討つ
49 明治一年 1868/9 佐良土田宿水戸兵の兵火により火災
50 明治元年一〇月一七日 1868/10/17 大田原藩主大田原鉎丸、天皇東幸のため初めて上京す。
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