黒羽町の歩み

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No 年号 西暦 事項文 関連
1 縄文時代中期 築地・浅香内・不動院裏遺跡 本文
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2 古墳時代後期 鉢木遺跡 本文
3 古墳時代後期 錢室塚古墳 本文
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4 大化一年 645 この頃東山道がおかれる
5 和銅一年 708 多治比広成下野守になる 本文
6 大同二年 807 北野上温泉神社創建する 本文
7 大同二年 807 堀之内に岩谷観音を創建する 本文
8 大同二年 807 寒井三島神社創建(藤原房麿建立) 本文
9 延喜三年 903 大豆田に磯豊為、鬼一大明神を勧請する 本文
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10 延喜一三年 913 余瀬加茂神社創建 本文
11 天慶三年三月 940/3 『願文写』に「下野国那須郡三輪庄全倉郷高温神」とある 本文
12 永承六年 1051 源頼義・義家奥州征伐に下向の途次、粟野宿に来り西の丘に白旗を飜えし勢揃えをする 本文
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13 永長一年 1096 須佐木州崎神社創建 本文
14 大治年間年 1126 (~一一三〇) 初叟元和尚雲巌寺をひらく 本文
15 大治二年一二月 1127/12 川上温泉神社創建 本文
16 治承四年一〇月 1180/10 那須資隆の子十郎為隆・余一宗隆白旗山において義経に仕える 本文
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17 元暦二年二月 1185/2 那須余一屋島の戦に扇の的を射る 本文
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18 元暦二年 1185 この頃中野内温泉神社(大宮)創建 本文
19 文治一年三月 1185/3 片田温泉神社創建 本文
20 文治三年 1187 亀山城(山田城)那須義隆により築かれる 本文
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21 文冶五年 1189 那須余一伏見即成院にて病死す(二十四歳) 本文
22 建久四年三月九日 1193/3/9 那須光資、那須野狩に功あり下野国北條郡の一村を拝領 本文
23 仁治二年 1241 後嵯峨天皇の皇子仏国応供広済国師誕生 本文
24 建長六年 1254 阿弥陀仏像を東余瀬道場坪の新善光寺に安置 本文
25 康元一年 1256 この頃仏国国師が出家し鎌倉に入る 本文
26 正嘉一年 1257 正覚山実相院光厳寺長谷田より寺宿にうつる 本文
27 文応二年 1261 このころ仏国国師は鎌倉を離れ、八溝山中に入り、草庵を結ぶ 本文
28 建治二年 1276 仏応禅師大豆田礒家にて誕生 本文
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29 弘安一年 1278 大久保に仏師堯尊作十一面観音を安置する 本文
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30 弘安六年 1283 執権北條時宗大檀那となり雲巌禅寺の大禅刹を建立 本文
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31 正応三年 1290 源心和尚臨済宗浄居寺を開山する 本文
32 正安一年 1299 新善光寺(余瀬)に板碑を建てる(明治年間出土) 本文
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33 応長一年 1311 那須資家、光巌寺に梵鐘を寄進する 本文
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34 正和一年 1312 南方温泉神社創建 本文
35 正和五年一〇月二〇日 1316/10/20 仏国国師遷化(七十六歳) 本文
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36 嘉暦二年九月二四日 1327/9/24 仏応禅師遷化(五十二歳) 本文
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37 正平六年 1351 大関家清、足利氏に属し、戦功あり松野・大桶二邑を賜わる 本文
38 応永年中年 1394 この頃大関増清、白旗丘陵上に居城を構える 本文
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39 応永一一年 1404 余瀬に大雄寺創建 本文
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40 応永一五年 1408 黒羽藩右衛門大夫増信小山義政を攻める 本文
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41 応永二三年 1416 光厳寺総門建立 本文
42 応永三三年 1426 那須資之と五郎資重との不和による争乱あり 本文
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43 応永三三年 1426 大雄寺焼ける(三十五年再建) 本文
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44 永享二年七月 1430/7 大輪山元寿院光雲寺快光法印により開基される 本文
45 文明三年 1471 前田飯縄神社創建 本文
46 明応年中年 1492 大関宗増居城を黒羽より堅田郷山田に移す 本文
47 永正一一年八月 1514/8 大関宗増は那須と白河勢の相剋により蛭田原に戦う 本文
48 永正一七年 1520 白河結城義永に攻められ那須資房破る 本文
49 永正一七年 1520 磯豊由、黒岩河岸を開設する 本文
50 享禄三年 1530 余瀬(白旗山)愛宕神社創建 本文
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