解題・説明
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1958年ウズベキスタンのタシュケントで第1回アジア・アフリカ作家会議が開かれる。その準備委員として加藤は参加し、アジア・アフリカの作家たちと知り合う。そのひとりにインドの作家がいて、インドに来るように誘われる。1959年に2週間、インド、セイロン(今日のスリランカ)を訪れたときに採ったノートである。加藤の目的はインド南西部のケララ州にあった。ケララは1957年にインド共産党が選挙によって政権を取得。以降インド共産党とインド国民会議派とがほぼ交互に政権を確立している。共産党政権の実態を見たかったのである。のちに『ウズベク・クロアチア・ケララ紀行』(岩波新書、1959)を刊行するが、その母体となったノートである。
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