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堺市史 第七巻
((二五)一休宗純)
(二五)
一休
宗純
一休
宗純初の名は周建、華叟宗曇の法を嗣ぎ、自ら狂雲子或は夢閨、瞎驢、國景、曇華と號,翌二年一檀越が同地の坂の井に小庵を營み
一休
を請じた。卽ち諸弟子を率ゐて移り、庵を雲門庵と稱した。,(
一休
和尚年譜)應仁兵燹後、【宗臨と
一休
】尾和宗臨の外護を得、文明年中其佛殿を再興し、(尾和宗臨畫像贊,眞珠庵は
一休
の遷化後、宗臨前約を踐んで之を再造した。,猶ほ
一休
牀菜庵在寓時代屢々堺津甲斐町中濱、扇屋甚右衞門を訪ひ、窮乏を憐んで扇の地紙を取寄せ、或は銀臺繪等 / (二五)
一休
宗純
堺市史 第七巻
((六四)岐翁紹禎)
【
一休
の門弟】
一休
宗純に參禪したが、(野史には
一休
の子、名は紹禎といひ、七十二歳で歿したとある)
一休
に,(南坊錄一)或はいふ
一休
岐翁を免したとき、然らば吾太刀を持つべしと云はれ、
一休
肖像の傍に太刀を持つて居
堺市史 第七巻
((一三九)尾和宗臨)
【
一休
宗純に參禪】
一休
宗純に參禪し、道號を祖溪と稱した。,(尾和宗臨畫像贊)永享年中
一休
の爲めに、大德寺内に眞珠庵を創建した。,】應仁、文明の亂大德寺兵燹に罹り、諸頭塔の未だ再建せられざるものが多かつた際に(龍寶山大德禪寺世譜)
一休
,は宗臨に謀り(
一休
和尚筆尾和四郞左衞門宛書狀)文明年中本寺を始め、其塔頭の德禪寺、大用庵、如意庵を再興,(寶山記談)
一休
の住吉牀菜菴在住時代には宗臨數々此草庵を訪ふた。
堺市史 第七巻
((六九)半井利長)
【
一休
に參禪】久しく大德寺の
一休
宗純に參禪して禪要を究め、入道して道三と稱し、晚年老を以て堺に隱栖した,(墓表)大德寺眞珠庵にある位牌は、
一休
和尚の筆蹟である。
堺市史 第七巻
((一五六)南江宗玩)
始め相國寺の玉龍庵に入り、雲溪支山に就いて僧となり、(堺鑑下)後
一休
宗純に師事した。,(堺鑑下)【堺に來り葦原に住す】永享四年還俗し、
一休
と相携へて堺に來り、(東海
一休
和尚年譜)南莊葦原の
堺市史 第七巻
((一〇)扇子屋甚左衞門屋敷址)
(一〇)扇子屋甚左衞門屋敷址
一休
和尚烏扇の傳説によつて有名な扇子屋甚左衞門屋敷地は、【所在】甲斐町西一丁字中濱
堺市史 第七巻
((二七)常通寺)
(社寺明細帳)【什寶】什寶に
一休
自畫自贊一幅、面壁達磨の繪一幅等がある。
堺市史 第七巻
((六)廢集雲菴)
【沿革】
一休
の門弟岐翁紹禎、師に背いて擯出せられ、市之町六間筋に集雲菴を構へて居住したが、後宥免せられ
堺市史 第七巻
((二六)日親)
(日宗著述目錄) 第十一圖版
一休
畫像 第十一圖版
一休
畫像
堺市史 第七巻
((二二)養叟宗頥)
(東海
一休
和尚年譜)長祿二年六月二十七日示寂した。春秋八十三、法臘六十七。
堺市史 第七巻
((一五七)牡丹花肖柏)
(文藝類纂卷五)又
一休
宗純に參禪して心要を究めた。肖柏は常に角に金箔を塗つた牛に騎つて外出した。
堺市史 第七巻
(插入圖版目次)
五二―五三 第十圖版 松鷗齋記 (東京市正木直彦氏所藏)・・・・・・・・五二―五三 第十一圖版
一休
畫像
堺市史 第七巻
(目次)
・・・・・・・・四八 (二三)精進院日隆・・・・・・・・四九 (二四)瑞溪周鳳・・・・・・・・五〇 (二五)
一休
宗純
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