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堺市史 第七巻
((一九一)高志羪浩)
(
全堺詳志
序)【伊東東涯に學ぶ】【仁齋の學説に反對す】少壯京に上つて伊東東涯に學び、後宋儒の説を奉じて,(時學鍼焫敍)【
全堺詳志
編述】又嚮に衣笠一閑の著はした堺鑑は、其記事尚長鞭の馬腹に及ばざるの感あるを見,、兄芝巖足らざるを補ひ、
全堺詳志
を編述した。,(
全堺詳志
敍)養浩更らに繁を芟り雜を除き、別に評論を加へ、編末に各部門の總論を擧げて面目を一新した。,これ卽ち
全堺詳志
である。本書は未刊のまゝ寶曆七年門人萬代文軌の序文を載せて傳はつて居る。
堺市史 第七巻
((六)高野堂址)
(二)は(一)より移轉して、其址へ引接寺が建てられたと云はれ(
全堺詳志
)三は二より移轉し、後、其門前へ,(
全堺詳志
)高志養浩は右三箇所を移轉とせず、獨自のものだと解してゐるが(
全堺詳志
、高志養浩增補分)妥當
堺市史 第七巻
((二六八)砂糖屋總左衞門)
全堺詳志
に當時の帖票二通を載せ、一は寬永十六年九月六日、他は同十七年十二月二十七日の日附があり、共に砂糖屋總左衞門,(
全堺詳志
卷之下)
堺市史 第七巻
((四)天慶院)
比丘尼寺であつたが、南宗寺第二世笑嶺宗訢のとき枝院となり、(南宗寺諸法度)天正年中僊嶽宗洞之を中興し、(
全堺詳志
卷之上,(
全堺詳志
卷之上)享保三年八月天慶院と改稱。,(
全堺詳志
卷之上)【本尊】本尊釋迦牟尼佛、【堂宇】本堂兼庫裏、茶室、門等を有し、(堺史料類纂)【什寶】
堺市史 第七巻
((一〇三)高石屋道勺)
(數寄者名匠集)又
全堺詳志
にも同樣の記事がある。,(
全堺詳志
卷之下)【利休の手水鉢】又曾て利休の所持した四方佛の手水鉢を所有したが、後材木屋嘉兵衞の有に
堺市史 第七巻
((一七〇)高志芝巖)
(芝巖居士壽塔銘幷序)【
全堺詳志
を編む】利貞亦地誌を好み、衣笠一閑の堺鑑未だ盡さゞるところあるを惜んで,其弟羪浩之に刪定を加へたものは、卽ち
全堺詳志
である。,(
全堺詳志
序)【墓碑】晚年世務を絶ち、參禪して老を養ひ、享保十一年五月壽塔を南宗寺の塔頭本源院の兆域に
堺市史 第七巻
((二一八)西 宗齋)
の西宗齋、同宗信、同九郞兵衞相續いて所藏したが、今は松平隱岐守の有に歸したと見え、(數寄者名匠集)又
全堺詳志
,(
全堺詳志
卷之下)【宗齋の宗玄の雅名ならん】之に依ると西宗齋は宗玄の雅名らしく、西家は代々九郞兵衞を通稱
堺市史 第七巻
((一七八)萬代文軌)
(左海人名錄)羪浩
全堺詳志
を著作した際には文軌其敍文を書いた。,(
全堺詳志
敍)儒醫河野進齋は彼の門人である。
堺市史 第七巻
((二八二)唐物屋久兵衞)
(
全堺詳志
附錄)裝劍奇賞にはクワラ、スヒガラアケの類、唐物鑄物の根附ありと見えて居る。,(
全堺詳志
附錄)【作品】作品中の大作と見るべきものは、今菅原神社の山門に懸つて居る金燈籠で、享保十九甲寅十一月吉日
堺市史 第七巻
((一四五)意雲)
(堺鑑下、
全堺詳志
卷之下)
堺市史 第七巻
((一四六)加賀四郞)
(堺鑑下、
全堺詳志
卷之下)
堺市史 第七巻
((一五〇)雜賀淨甫)
(堺鑑下、
全堺詳志
卷之下)
堺市史 第七巻
((一四七)宗鐵)
(堺鑑下、
全堺詳志
卷之下)
堺市史 第七巻
((一四四)文阿彌)
(
全堺詳志
卷之下、和泉名所圖會卷之一)
堺市史 第七巻
((一四二)宍喰屋某)
(堺鑑中、
全堺詳志
卷之下)
堺市史 第七巻
((一一三)箔屋九郞左衞門)
(
全堺詳志
卷之下)
堺市史 第七巻
((一一二)高石屋新一郞)
(
全堺詳志
卷之下)
堺市史 第七巻
((一〇五)鹽屋宗悅)
(堺鑑下、
全堺詳志
卷之下)
堺市史 第七巻
((四)超善寺井)
(四)超善寺井 堺第一の良井と
全堺詳志
に示されてゐるのは、【所在】熊野町東六丁にある超善寺井である。
堺市史 第七巻
((二八四)一節道清)
(堺鑑下、
全堺詳志
卷之下)
堺市史 第七巻
((一五一)中西西順)
(一五一)中西西順 【裱裝の名工】中西西順は大和笠置の人、(堺鑑下、
全堺詳志
卷之下)裱裝の名人として
堺市史 第七巻
((七八)松井宗誾)
(堺鑑下、
全堺詳志
卷之下)
堺市史 第七巻
((一六九)小山朝三)
(
全堺詳志
附錄)【朝鮮使節詰問の衝に當る】天和二年八月朝鮮の信使、正使尹趾完、副使李彦綱、從事官朴慶俊等來朝,(
全堺詳志
附錄)
堺市史 第七巻
((二六七)木屋彌三右衞門)
堺の町人八丈家は彼の親族關係で、朱印狀及び鳳首共に同家に所藏して居たと、
全堺詳志
に記されてゐる。,(
全堺詳志
卷之下)同九年閏八月暹邏の使者二條城に登城し、家康之を大廣間に引見した。
堺市史 第七巻
((一〇一)石橋良叱)
(
全堺詳志
卷之下)
堺市史 第七巻
((二七四)溫故)
(堺鑑下、
全堺詳志
卷之下)
堺市史 第七巻
((二九八)車屋道悅)
(堺鑑下、
全堺詳志
卷之下)
堺市史 第七巻
((一五)松山新助)
(堺鑑下、
全堺詳志
卷之下)
堺市史 第七巻
((一一八)茜屋吉松)
數寄者名匠集)【所有の名器】家に木野邊肩衝、弦付茶入、牧溪筆鷄の繪、斷江の茶碗、(堺鑑下)無鏑花缾、(
全堺詳志
卷之下
堺市史 第七巻
((一〇二)紅粉屋宗陽)
(一〇二)紅粉屋宗陽 紅粉屋宗陽(茶事談、茶人系傳全集、堺鑑には輕粉屋とあるが、今は
全堺詳志
及び數寄者名匠集
堺市史 第七巻
((七)戸立野址)
(
全堺詳志
、攝泉境小鑑錄)蓋し祖母ヶ懷の名は戸立野に續いた王子ヶ上の國訓が祖父(おほぢ)ヶ上に通用するので
堺市史 第七巻
((一〇)題目堂井址)
堺奉行柴山小兵衞の弟五助の狎妓高間の遺址として知られた題目堂の名井は舳松村字北舳松題目堂にあつたが(
全堺詳志
堺市史 第七巻
((三)馬堂址)
(堺鑑)同社は每年六月の住吉御祓祭に神馬の秣を獻じ、南莊より清祓錢を出し、附近を目口筋と云つたが、(
全堺詳志
堺市史 第七巻
((二七五)利玄)
(堺鑑下、泉刕志卷之一、
全堺詳志
卷之下)【闘技】利玄慶長十二年十一月大阪城に本因坊と對局し、秀賴其技を
堺市史 第七巻
((二八三)甫竹重右衞門)
【子孫】子孫代々甫竹某と稱し、(堺鑑下、
全堺詳志
卷之下)天和の頃までは堺に住したと傳へられて居る。
堺市史 第七巻
((一五三)宮尾道三)
(堺鑑下、
全堺詳志
卷之下)
堺市史 第七巻
((一二一)重宗甫)
(
全堺詳志
卷之下)
堺市史 第七巻
((九)工屋水址)
(九)工屋水址 【所在】農人町筋名水の中戎之町と櫛屋町との境にあつた工屋水(
全堺詳志
)は其所在明でない
堺市史 第七巻
((七)向井領井)
(
全堺詳志
)【現狀】現在向陽町岡村平兵衞氏の有に歸し、周圍草叢に覆はれてゐるが、一見方四尺許の角井である
堺市史 第七巻
((二九七)惠藤源左衞門)
(堺鑑下、攝群陽談卷第十、
全堺詳志
卷之下)
堺市史 第七巻
((二)海會寺井)
(
全堺詳志
)
堺市史 第七巻
((四六)淨念寺)
(
全堺詳志
卷之下)【什寶】什寶に傳惠心僧都作阿彌陀如來立像一軀、春日見聞子作主夜神明王座像一軀、芥子國作藥師如來及
堺市史 第七巻
((一八)百舌鳥耳原北陵)
(堺鑑、
全堺詳志
、各年代改堺手鑑) 第百四十四圖版 百舌鳥耳原北陵 第百四十四圖版 百舌鳥耳原北陵,(
全堺詳志
)【修復事業】元治元年世論に刺戟せられて修復を奉仕し、同二年には勤番が定められ、其奉仕の規約
堺市史 第七巻
((一六)松井友閑)
(堺鑑下、
全堺詳志
卷之下)又信長高野山に派兵の際には、部將となつて活躍した。
堺市史 第七巻
((一二二)萬代屋宗安)
(
全堺詳志
卷之下)【逸話】曾て貧困者があつて、宗安に金子を願へども與へざるは如何にと問ふた。
堺市史 第七巻
((二)妙光寺)
(
全堺詳志
卷之下)
堺市史 第七巻
((八二)油屋常祐)
(
全堺詳志
卷之下)元龜四年四月、織田信長岐阜から上洛して堺の名器を覽んとて、松井友閑、丹羽長秀に命じて
堺市史 第七巻
((一五)竹田藥師院○昌慶以下歷代)
(日本醫學史、
全堺詳志
附錄)天授四年六月歸朝して、其業大に行はれた。,(
全堺詳志
附錄)
堺市史 第七巻
((二二五)伊丹屋宗不)
(數寄者名匠集)其他數種の珍奇の茶器を襲藏したが、(
全堺詳志
卷之下、數寄者名匠集)孫源左衞門の時代に之
堺市史 第七巻
((二九)超善寺)
(
全堺詳志
卷之下、泉州志卷之二)【什寶】什寶に傳善導大師筆阿彌陀如來畫像一幅、傳法然上人自畫像一幅、同空蟬
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