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堺市立中央図書館/堺市史

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堺市史 第七巻 ((一七)指吸匡道)

天保六年三十八歳、【兵庫祥福寺住職】攝津兵庫平野祥福寺に入り、爾來二十八年祥福寺の大株、【門下の高足】
堺市史 第七巻 ((三〇〇)高橋耕友齋)

(三〇〇)高橋耕友齋 高橋耕友齋諱は昌忠、兵庫と稱し、書を能くし、【謠曲及び鼓を能くす】傍ら散樂の鼓及
堺市史 第七巻 ((一四)小笠原信用)

(一四)小笠原信用 小笠原信用始め兵庫、後伊豆守と稱した。食祿二千三百六十石。
堺市史 第七巻 ((一二八)春日 鼎)

又兵庫祥福寺の匡道和尚に參禪すること數年、一日忽ち恬然として契悟した。
堺市史 第七巻 ((二九)清川幸齋)

養子となり、姓を冒し、【大學東校に入る】後大學東校に入り、更に醫學を專攻して造詣頗る邃く、明治五年職を兵庫縣病院
堺市史 第七巻 ((七)本成寺)

(日親上人御傳記)日親文安元年冬播磨東條鄕に於ける危急を脱して兵庫に到り、更に乘船して堺津に着岸し、(
堺市史 第七巻 ((二)三好長輝)

次いで十六年十一月長輝澄元に從つて兵庫に至り越水城に河原林政賴を攻め、翌十七年二月城を陷れて京都に入つた
堺市史 第七巻 ((二〇五)古家太郞兵衞)

る德望あり、友誼にも厚く、始め旭莊來堺の際魯嶽首として交りを訂び、文雅の士を勸めて就學せしめ、又灘、兵庫等
堺市史 第七巻 ((一八三)柴田鳩翁)

翌二年五月再び堺に來り、大師堂方に淹留して道話を講じ、奉行久世伊勢守の召に應じ、爲めに兩度進講し、大阪、兵庫
堺市史 第七巻 ((二九三)中村富十郞)

十一月京都北側の芝居に出勤し、爾來京阪及び兵庫の間に往來し、文政五年十一月再び江戸の中村座に現はれ、滿一年
堺市史 第七巻 ((一〇)北田豐三郞)

堺橋鐵道會社卽ち後の高野鐵道を發起して取締役に、(高野鐵道一件)二十九年三月堺米穀取引所理事長に、四十五年五月兵庫縣明石瓦斯株式會社
堺市史 第七巻 ((一)妙國寺)

同四年七月番神社の造營に着手し、翌五年内造作を竣成し、同年正月兵庫築島來迎寺の堂宇を、番神堂の拜殿として
堺市史続編 第六巻 ([は])

家数人数牛数改帳   4-1296  ――苗字届   4-1302 針坊主   5-575 蜂屋頼隆(兵庫助
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