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堺市立中央図書館/堺市史

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堺市史 第七巻 ((一六二)具足屋祐專)

(一六二)具足屋祐專 【家系】具足屋祐專は具足屋の第二代、通稱次兵衞、父は益田藏人元季と稱し、長門に,【具足屋】祖先傳來の武器、具足及び番具足を人の請ふまゝに之を貸與したので、世人具足屋と稱し、自ら屋號となつた / (一六二)具足屋祐專
堺市史 第七巻 ((一六五)具足屋宗專)

(一六五)具足屋宗專 【祐專の男】具足屋宗專は二代祐專の子で、三代祐春の後を嗣いだ。,(先代過去帳) 第五十九圖版 具足屋宗專木像 第五十九圖版 具足屋宗專木像 / (一六五)具足屋宗專
堺市史 第七巻 ((一九九)益田睢軒)

(在津紀事)【具足屋次兵衞】通稱を具足屋次兵衞といひ、其第十二代で、妻は大阪天王寺屋五兵衞の女、娘かゑは
堺市史 第七巻 ((三)發光院)

又傳行基作地藏菩薩木像一軀及び暹羅將來の降魔釋迦銅像一軀は臺座背面に裸婦の浮彫あり、【具足屋傳來の天道佛,】其左右に具足屋〓〓(一子カ)傳來之天道佛と陰刻し、正法寺所藏の釋尊降魔成道圖と相俟つて、日暹貿易史上
堺市史 第七巻 ((一五)枸杞園址)

【規模】園は元來具足屋次兵衞が櫛屋町濱の別墅を陶齋の爲めに他の門人等と共に修覆したもので、表は板塀を圍,(息心隨筆)【枸杞翁】元祿二年の堺大繪圖櫛屋町濱にある具足屋治兵衞七箇所の掛屋敷中何れが枸杞園となつたか,、又何れが陶齋當時の具足屋治兵衞の所有として傳つたかは不明であるが、【舊址】右七箇所は總て戎小公園の區域内
堺市史 第七巻 ((三五)屋崎正明)

(三五)屋崎正明 尾崎正明通稱は莊右衞門、【具足屋】屋號を具足屋と稱し、第八世を嗣ぎ、(開口神社奉納源氏物語箱書
堺市史 第七巻 ((三八)西然寺)

(社寺明細帳)【墓碑】墓地には具足屋宗專を始め一門の墓碑がある。
堺市史続編 第六巻 ([く])

 ――上知   4-1425  ――上知反対   4-1439 具足糸屋   5-574 具足屋市兵衛,   1-921,974 具足屋五兵衛   1-920,921,4-516 具足屋次兵衛   2-,876,3-436 具足屋半三郎   1-974,5-943 具足屋半兵衛   1-956 具足屋孫兵衛
堺市史 第七巻 ((八)大西五一郞)

(大西五一郞氏報告)家は代々具足屋と稱して兩替商を營み、堺屈指の富豪である。
堺市史 第七巻 ((一六六)谷 安殷)

長右衞門と稱し、正安の孫、父は勘左衞門安永(貞享二年六月十六日歿、享年四十九、妻は法號法室榮正尼)妻は具足屋祐玄
堺市史 第七巻 (插入圖版目次)

・・・・・・・・三〇五 第五十八圖版 谷 宗印畫像 (堺市祥雲寺所藏)・・・・・・・・三〇七 第五十九圖版 具足屋宗專木像
堺市史 第七巻 (目次)

〇)高橋興勝・・・・・・・・三〇四 名家 (一六一)伊藤了慶・・・・・・・・三〇四 (一六二)具足屋祐專,一六三)谷 正安・・・・・・・・三〇六 (一六四)久 吉左衞門・・・・・・・・三〇九 (一六五)具足屋宗專
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