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堺市立中央図書館/堺市史
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堺市史 第七巻
((一四三)納屋助左衞門)
(一四三)納屋
助左衞門
納屋
助左衞門
は堺の豪族で、貿易商人である。納屋は菜屋又は魚屋に作る。,(絲亂記)
助左衞門
文祿二年小琉球卽ち呂宋へ渡航し、翌年七月歸朝し、當時堺の代官であつた、石田杢助を介して,【貿易の利】
助左衞門
一たび之を齎し還つて一擧にして巨利を博したのは、當時の時好に投じたとはいへ、斯かる,曾て松永久秀其邸に莅み、刀を執つて柱を傷け、盈つれば虧くる災生ずとて、
助左衞門
を戒めたといふ。,但し奇傑呂宋
助左衞門
の通名を得た事蹟も、惜いかな史料の存するもの殆どなく、其全生涯は充分知られない。 / (一四三)納屋
助左衞門
堺市史 第七巻
((一〇)朱座役所址)
(一〇)朱座役所址 【所在】朱座役所は宿屋町大道東側南角にあつて、初め朱座年寄朱座
助左衞門
掛屋敷を詰所,元祿以前と思はるゝ宿屋町古繪圖(田畑和兵衞氏所藏)に右舊址を單に朱座、其東隣の南面表六間、入五間を
助左衞門
,と記してゐるのは
助左衞門
屋敷より朱座役所を分つてゐた事を證するもので、元祿に至つて之を掛屋敷と記したものである
堺市史 第七巻
((一六七)南 正會)
【正之舳松順に住す】其嫡男
助左衞門
正之に至り、堺寺地町筋東卽ち舳松に住した。,既に文祿四年の古檢地帳の寫にも、
助左衞門
分と見えてゐる。,【三世以來庄屋となる】南家は三世
助左衞門
正之以來代々殆ど連綿として、中筋村の里正に擧げられ、以て維新後
堺市史 第七巻
((二七)堀山持中)
(二七)堀山持中 堀山持中通稱
助左衞門
、享保二十年十二月堺に出生した。
堺市史 第七巻
((二七一)小田助四郞)
(朱座由緖書)【子孫朱座を通姓とす】子孫職を繼ぎ朱座を通姓とし、
助左衞門
を襲名し、(元祿以降代々手鑑)
堺市史 第七巻
((八)大安寺)
(社寺明細帳)【傳説】方丈は納屋
助左衞門
の舊宅を移したと傳へられ、松永久秀玆に莅み、壯麗を歎賞したが、,作者不詳釋尊座像一軀、同聖觀音立像一軀、同出山釋迦立像一軀、同達磨座像一軀、開山德秀和尚座像一軀、傳納屋
助左衞門
呂宋將來茶壼一個
堺市史 第七巻
((二四)堀山順之)
(二四)堀山順之 堀山順之は
助左衞門
と稱した。
堺市史続編 第六巻
([な])
南面利村(南郡) 1-912 納屋がしの衆 1-504 納屋衆 1-502 納屋
助左衛門
堺市史 第七巻
(目次)
一四一)綾井定友・・・・・・・・一五四 (一四二)宍喰屋某・・・・・・・・一五四 (一四三)納屋
助左衞門
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