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堺市立中央図書館/堺市史

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堺市史 第七巻 ((五一)北十萬)

(五一)北十萬 北十萬は法護山悲田院と號し、【位置】錦之町東二丁字寺町にあり、淨土宗西山派京都禪林寺末,阿彌陀經十萬卷を書寫して十萬上人と呼ばれ、寺を十萬と稱したが後土御門天皇は悲田院の勅額を、後水尾天皇は北十萬,(北十萬略緣起、堺鑑中、全堺詳志卷之下)其子孫連綿として境内に居住したが、文化五年之を境外北方稻荷社の,(十萬上人略緣起、北十萬境内非人共地所替り一件)當院はもと柳之町濱にあつて、方二町の境域を有し、四宇の,(北十萬略緣起)寬政元年三月の記錄には、瑞泉、慈雲、瑞見の三菴の名が見えて居る。 / (五一)北十萬
堺市史 第七巻 ((四)十萬屋敷址)

【創設】初め北十萬の開祖十萬上人孤獨窮民收容の爲め境内六十坪の地に建てた長屋であつた。,(北十萬略緣起)【元祿二年の狀態】同長屋は元祿の堺大繪圖には非人借宅と記し、北十萬境域の北方で西面の表六間半,【舊址】此境域は現在北十萬の北方辨財天及び錦之町西二丁一番地三浦〓氏住宅に相當する。,【移轉地】然し此非人借宅も文化四年十二月命によつて北十萬より所替の印形を取り、翌五年五月稻荷町に移轉した,(北十萬境内非人共地所替一件)【舊地】稻荷町は北稻荷町で、今の北半町字高須を指すのである。
堺市史 第七巻 ((二四)一光庵)

(二四)一光庵 一光庵は佛放山又は護臺山と號し、【位置】市之町西四丁字戎嶋にあり、もと淨土宗堺北十萬,(北十萬末寺一光菴記錄)再興開山は明空俊道了澤、【本尊】本尊は淨慶作曼陀羅佛阿彌陀如來である。
堺市史 第七巻 ((三)長泉寺)

【開基】文龜元年衆德恩冏の開創に係り、悲田院北十萬と開祖同じき爲、【別號】南十萬と通稱されてゐる。
堺市史 第七巻 ((三四)衆德恩冏)

(北十萬略緣起、十萬上人略緣起)卽ち鐘銘にも、天文二年癸巳卯月十八日勸進坊主北ノ十萬衆德とあるので其事
堺市史 第七巻 ((二)菅原神社)

(堺府菅亟相靈廟鐘銘幷序、北十萬緣起、廢常樂寺鐘銘)【天正二年の配置】天正二年の當社配置圖には、本社及
堺市史続編 第六巻 ([き])

フサエ   3-132,246,273,3-31,32,33,34 喜多七太夫   3-436 北十万寺
堺市史 第七巻 (目次)

・・・・・・・・五九五 (四九)福成寺・・・・・・・・五九五 (五〇)淨光寺・・・・・・・・五九六 (五一)北十萬
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