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堺市立中央図書館/堺市史

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堺市史 第七巻 ((三五)古嶽宗亘)

(三五)古嶽宗亘 宗亘字は古嶽、生苕或は苕波、又は夕巢庵と號した。,(古岳和尚筆南宗庵改稱偈)同庵は卽ち南宗寺の先蹤をなすものである。,又古嶽はこの小庵に於て、其弟子宗桃に宗套の諱を授與した。,(古嶽筆宗套名取狀)卽ち此偈文と宗套名取狀とを綜合して考ふるに、後繼者は其門弟で、共に此一小庵に起臥した,古嶽詩文に長じ、【書畫を能くす】書を能くし、筆硯を弄して達磨像及び十牛圖を作つた。 / (三五)古嶽宗亘
堺市史 第七巻 ((四一)大林宗套)

【古嶽の法嗣】古嶽宗亘の法嗣である。京都の人、俗姓藤原氏、搢紳の家に出でた。,宗套此弊を破らんとし大德寺東溪宗牧に就き、其歿後は玉英宗冏に隨ひ、【古嶽參究】更らに古嶽宗亘に參禪した,古嶽が堺南宗菴主となつてからは、共に從ふて起居し、大永五年五月古嶽が宗安禪人の入室勘辨に際して侍者となり,(古嶽和尚筆大林號偈)然も未だ幾何ならざるに出でて大德禪寺に住し、古嶽の法嗣で同門の法兄傳庵宗器が、天文二年三月南宗菴,古嶽は大林に大德寺出世を勸めたが、大林は時未だ到らざるを理由として再三之を辭退した。
堺市史 第七巻 ((三三)傳庵宗器)

(紫巖譜略)【古嶽の法嗣】京都の人で古嶽宗亘に嗣法し、大林宗套と同門である。
堺市史 第七巻 ((五七)一凍紹滴)

父を宗顯といひ、久しく古嶽宗亘に參禪して、宗義を解した。,一凍幼時父を喪ひ、金剛山龍門寺に入り、古嶽の門弟、雲岫祥首座に學び、宗〓の名を與へられた。
堺市史 第七巻 ((四六)笑嶺宗訢)

當時古嶽宗亘大德寺に在つて化導の盛んなることを聞き、【古嶽の記室となる】見參して記室となり、日夕心要を
堺市史 第七巻 ((五四)雲英宗偉)

遺骸を大僊院大聖國師(古嶽宗亘)塔の側に葬つた。
堺市史 第七巻 ((七四)谷宗臨)

堯甫怪しみ且つ喜び、私すべきものにあらずとし、之を携へて京都に上り、紫野の古嶽和尚に贈り、竟に大仙院の
堺市史 第七巻 ((一)南宗寺)

【沿革】始め堺南莊舳松に一小院あり、古嶽宗亘小憩の地とし、大永六年八月舊號を改めて南宗菴と稱した。,(古嶽筆南宗菴改稱偈)同菴の位置に就いては、古嶽の偈文に堺南莊とあるが之は舳松村ではなく、寺地町東三丁大阿彌陀經寺,斯してこゝに大林宗套古嶽の鉗鎚を受け、古嶽の法嗣で宗套の法兄である傳庵宗器は、南宗菴の第二世となつたが,、天文二年三月示寂して主なきに及び、宗套は古嶽の命によつて德禪から南宗に移つた。,三好長慶畫像一幅、山名豐國畫像一幅、小出吉英畫像一幅、大燈國師墨蹟一幅、大鑑禪師清拙和尚筆漏月菴三大字一幅、古嶽和尚筆大林號偈一幅
堺市史 第七巻 ((七九)武野紹鷗)

紹鷗は茶湯を此二居士に學び、(茶人系傳全集、堺鑑下)傍ら紫野の古嶽和尚に參禪した。
堺市史 第七巻 (插入圖版目次)

・・・・・・・・六九 第十四圖版 大林木像 (堺市南宗寺所藏)・・・・・・・・七一 第十五圖版 古嶽偈文
堺市史 第七巻 (目次)

・・・・・・・・六一 (三三)傳庵宗器・・・・・・・・六一 (三四)衆德恩冏・・・・・・・・六一 (三五)古嶽宗亘
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