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堺市立中央図書館/堺市史

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堺市史 第七巻 ((五一)古溪宗陳)

(五一)古溪宗陳 宗陳、字は古溪、自ら蒲庵と號した。,古溪四使に對して無道を諭したが、應ぜざるに及び、古溪乃ち懷中から匕首を出していふ、法の衰替今此通りである,(續日本高僧傳卷第十一)古溪亦茶湯を好み、永祿十一年二月並びに同十二年十一月の津田宗及の茶會に列し、又元龜二年三月 / (五一)古溪宗陳
堺市史 第七巻 ((一五七)牡丹花肖柏)

(一五七)牡丹花肖柏 牡丹花肖柏は村上天皇の皇子、具平親王の遠孫、大納言中院通方の後裔で、(古溪筆夢庵贊,(古溪筆肖柏夢庵贊)又九代集中から二千餘首を撰んで、初學の捷徑に便した。,(古溪筆肖柏夢庵贊)曾て牡丹花の詠に「春咲かぬ花や心の深見草」の句がある。,(古溪筆肖柏夢庵贊)塔は南宗寺にあるが、恐らく、埋骨の地ではあるまい。
堺市史 第七巻 ((一五)紅谷菴)

(社寺明細帳)【什寶】什寶に肖柏短册一幅、古溪和尚筆肖柏夢贊一幅等がある。
堺市史 第七巻 ((七)海會寺)

(海會禪寺由緖之略記、本末雜亂改正記)後堂宇頗る荒廢し、再興大德寺第百十七世古溪宗陳當寺に入り、天正十三年紀伊根來寺傳法院
堺市史 第七巻 ((八四)千利休)

(茶人系傳全集)【參禪】又古溪和尚に參禪すること三十餘年、其奧妙を究めた。,秀吉、石田三成に命じて首を鈎懸に載せ一條戾橋に梟し(年代考記卷下)古溪亦連座して、其累將に大德寺に及ばんとしたが
堺市史 第七巻 ((七)今井宗薰)

大德寺の古溪宗陳に參禪し、俗弟子となり、(茶人系傳全集)父の遺言によつて遺領の内千二百石を返還した。
堺市史 第七巻 ((四六)笑嶺宗訢)

春屋宗園、古溪宗陳、仙嶽宗洞、一凍紹滴等の法嗣あり、何れも相前後して南宗寺の法燈を紹いだ。
堺市史 第七巻 ((五四)澤庵宗彭)

苦心と努力とによつて實現せられたが、當時大德寺でも、南北兩派の軋轢あり、澤庵所屬の北派の中にも、三玄、古溪,南宗寺の將來を憂ひ、元和五年五月澤庵在世中は獨住地とし、歿後は、大用庵、松源院、養德院、大僊院で、三玄、古溪兩派
堺市史 第七巻 ((一)南宗寺)

【獨住地】南宗寺は澤庵在世中は之を獨住地とし、其歿後は大用庵、松源院、養德院、大僊院と同じく、三玄、古溪兩派
堺市史続編 第六巻 ([こ])

国立結核療養所厚生園   3-452 国立泉北病院   3-572~573 国立福泉療養所   3-573 古溪和尚
堺市史 第七巻 (目次)

・・・・・・・・八二 (四九)明叟宗普・・・・・・・・八二 (五〇)僊嶽宗洞・・・・・・・・八三 (五一)古溪宗陳
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