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堺市立中央図書館/堺市史

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堺市史 第七巻 ((七)堺奉行所址)

(七)堺奉行所址 【所在】堺奉行所は殿馬場を挾んだ車、櫛屋兩町の東一丁、同二丁に跨る區域であつた。 / (七)堺奉行所址
堺市史 第七巻 ((一四九)近藤隆昌○魯溪)

(墓誌)【堺奉行所附となる】華溪を祖父とし、文溪を父とし、醫業を繼ぎ、又堺奉行所附となり、帶刀を允された
堺市史 第七巻 ((三〇)中田喜典)

其先は江戸の人、堺奉行所の同心となつて既に四世を經た。
堺市史 第七巻 ((三三)上條柳廬)

堺奉行所附の與力である。,【家系】上條氏は其先甲斐の武田家に出で、五世の祖可一に至つて始めて堺奉行所の與力となり、是より永住することゝなつた
堺市史 第七巻 ((二七)堀山持中)

父は直氏、堀山氏は世々堺奉行所の與力であつた。
堺市史 第七巻 ((一二七)鎌田烈以)

【中村東爲の妻】長じて堺奉行所の與力中村東爲の後妻となつた。
堺市史 第七巻 ((三四)渡邊正雄)

堺奉行所の與力渡邊玉山の季子、石田氏に子養された。
堺市史 第七巻 ((二二四)岸 紹易)

(二二四)岸 紹易 【堺奉行所附與力】【武術に達す】岸紹易諱豐春、一九郞と稱し、問秦庵又は一樹庵と號,世々堺奉行所の與力となり、大坪流の馬術、中和流の炮術等頗る武技に通じた。
堺市史 第七巻 ((二六)渡邊玉山)

堺奉行所の與力である。【裁判の公平】性行廉潔嘗て賂を納れず、非理の訴訟を絶つた。
堺市史 第七巻 ((二八)渡邊圀雄)

父諱は秀、家世々堺奉行所與力の職に在つた。【堺に生る】寶曆九年三月北鄕の與力屋敷に生れた。
堺市史 第七巻 ((一二八)春日 鼎)

【土肥治輔の妻】年二十堺奉行所の與力土肥治輔に嫁し、善く姑に事へた。
堺市史 第七巻 ((一二五)上條 麻)

上條 麻 【上條舒嘯の妻】上條麻は麻田侯の世臣、中村道格(諱は政順)の女で、享保三年三月出生、十七歳堺奉行所
堺市史 第七巻 ((三九)堀山勝比)

(墓誌)【迎與力】嘉永三年石田因幡守の堺奉行に補せらるゝに際し、勝比伴はれて堺奉行所附の與力となつた。
堺市史 第七巻 ((八)牢屋敷址)

(八)牢屋敷址 【所在】堺奉行所に附屬した牢屋敷は車之町東三丁にあつた。
堺市史 第七巻 ((二九)伊藤信美)

坪内氏は阿波矦の世臣で、延享年中定豐大阪阿波藩邸の留守居となるに當り共に來阪し、明和六年堺奉行所與力伊藤貞信
堺市史 第七巻 ((一四八)近藤隆昌○文溪)

【堺奉行三宅康哉の知遇を受く】多年堺奉行所に出入し、奉行三宅康哉の眷遇を蒙ること厚く、同水野信行の時に
堺市史 第七巻 ((一一四)布屋次兵衞)

河口に沈澱堆積し、港灣次第に埋沒せんとするを觀、深く之を憂へ、改修を志し、(石堤願書)享保十二年五月堺奉行所
堺市史 第七巻 ((二四)堀山順之)

【堺奉行所附與力】正德元年新堺奉行淺野長恆に從ひ、與力となり、數職に歷任しよく力を其職に竭し、市民皆人
堺市史 第七巻 ((四〇)伊藤吉左衞門)

奈良奉行所附與力玉井定知の次子で、堺奉行所附與力伊藤博就の養子となつた。
堺市史 第七巻 ((六)高須神社)

社寺明細帳)    【舊稻荷神社】稻荷神社は車之町東一丁字殿馬場に奉祀し、一に天白稻荷と呼ばれ、もと舊堺奉行所
堺市史 第七巻 ((一一五)谷善右衞門)

然るに防波堤築造のことは、堺奉行所より大阪奉行所の支配に歸したから、大阪奉行所は、堺町中に對して、此事業
堺市史 第七巻 ((三九)眞宗寺)

(堺奉行所宛口上書)寬政十年正月、西本願寺掛所佛供所より失火の際には餘焰を被り、破損の箇所頗る夥しかつた
堺市史 第七巻 (目次)

・・・・・・・・一九一 (二一)矢部定謙・・・・・・・・一九二 (二二)駒井信義・・・・・・・・一九三 堺奉行所屬吏,・・・・・・・・八四一 (五)鎰町芝居址・・・・・・・・八四二 (六)鹽風呂址・・・・・・・・八四二 (七)堺奉行所址
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