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堺市史 第七巻
((五)三好元長戰死址)
【顯本寺址】卽ち元長が最後の地たる當時の顯本寺(現在中之町東三丁)は三好記に
大寺
(開口神社)の神慮を憚,り其西門の畔にあつた顯本寺に入つたとあるから、中世以來變つてゐない
大寺
(開口神社)の西、卽ち甲斐町字山之口筋附近
堺市史 第七巻
((三)馬堂址)
(三)馬堂址 馬堂は神功皇后三韓より御凱陣に際し、【所在】馬を
大寺
の北門に繫がれた緣故で同所に建てられたと
堺市史 第七巻
((九〇)湛慧信培)
十一年、奈良の雲松菴に倶舍論及び唯識を講じ、七
大寺
及び泊瀨寺の僧侶多く之を聽講した。,【
大寺
明王院に倶舍論及び唯識論を構ず】十六年高野山學侶の請に應じ堺
大寺
明王院に在つて倶舍論を講じ、因て
堺市史 第七巻
((一)開口神社)
(開口神社實測圖)神佛混合時代には別當念佛寺の通稱によつて
大寺
と呼ばれ、今猶ほ一般に
大寺
の稱を存してゐる,【繪馬堂】繪馬堂は桁行八間一尺五寸、梁行四間四尺五寸の瓦葺層樓で、一見樓閣の觀あるは
大寺
と稱した頃に樓門,【老樟】老樟は昔三浦坊なる天狗の常住して飛行したとの傳説ある樹木で(
大寺
緣起)高さ十數間、廻り三抱を有,遙拜所の南方、南門内西側に
大寺
餅の店舖がある。【舊連歌所】又神樂殿の東方に舊連歌所がある。
堺市史 第七巻
((六八)一音顯澄)
【廣澤流を究む】爾來益々密教の玄奧を究めんとし、京洛の諸
大寺
に入りて道を硏め、槇尾平等心王院の比丘惠燈
堺市史 第七巻
((一六)春慶)
奈良東
大寺
所藏の屛風の襲木は、此春慶塗に類したものであり、又土佐安藝郡の東寺に藏する大般若經の唐櫃も亦之
堺市史 第七巻
((七)今井屋敷址)
多少境域の變遷はあるが、【元祿二年の狀態】元祿二年には當主七郞兵衞の名義となり、東は絹屋町二丁目筋(今の
大寺
東門筋
堺市史 第七巻
((一)開口神社)
後年空海參籠して眞言祕密の道場を構營し、(
大寺
緣起)是より、眞言宗に歸し、無本寺として寺僧其社務を執ることゝなつた,(
大寺
三重塔仕立申大工手間料御請相申上書物之事)【殿堂造營】斯くして亦元祿七年九月社殿を造營し、同十五年十月更,開口神社諸記錄) 【元祿の寺觀】境域は元祿二年堺大繪圖に、東西六十一間餘、南北六十二間餘を示し、同四年の
大寺
繪圖,(各朱印狀)寺は密乘山大念佛寺と號し、眞言宗の無本寺として、寺僧其任務を執り、世に
大寺
と呼んだ。,【社寶】社寶頗る多く、【國寶
大寺
緣起】
大寺
緣起三卷附筆者目錄一卷は、明治四十三年四月二十日國寶に指定せられた
堺市史 第七巻
((二二八)土佐光起)
一は開口神社所藏、元祿三年十月十五日に成つた
大寺
再興緣起で奧書に土佐左近衞將監光起入道、行年七十四法眼常昭筆
堺市史 第七巻
((一)行基)
天平十五年聖武天皇廬遮那佛造立の本願を起したまふに當り、勅を拜して伊勢に赴き、太神宮の神託を請ひ、(東
大寺
緣起
堺市史 第七巻
((八)澄圓)
二十歳の時東
大寺
の戒壇に登つて受戒し、螢雪倦まず、汎く經史諸子百家の説より、神道の諸書を閲し、内外の諸典
堺市史 第七巻
((二四)瑞溪周鳳)
瑞溪師事すること五年、十六歳剃髮得度し天龍、相國、鹿苑等の諸
大寺
に出入し、二十八歳奈良の興福寺に寓し、
堺市史 第七巻
((二)菅原神社)
資格は
大寺
と同じく十五人を選定し、其中より五人を選び出し莊嚴頭とした。,然し、
大寺
と同じく中期以降商勢振はざるに至り、享和以後嚴正なる規格も次第に崩れ、漸く其儀式を維持するに,幕府巡見所の一として、老中或は大阪城代等の公檢を受けたのは
大寺
と同じである。
堺市史続編 第六巻
([お])
大津屋鉄工所 2-448,617,722,937,3-13 大津屋半兵衛 4-1144
大寺
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