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堺市史 第七巻
((一五〇)田中芳桂)
【施藥所醫員となる】
天保
七年幕府施藥所を設置するに當り醫員に列した。,
天保
十年三月十四日享年五十七歳を以て歿し、金蓮寺先塋の側に葬つた。(墓誌)
堺市史 第七巻
((一一〇)宙寶宗宇)
(南宗寺歷世年譜)【禪師號勅賜】
天保
七年仁孝天皇より大光眞照禪師の徽號を忝うしてゐる。,
天保
九年十二月八日世壽七十九を以て示寂した。(龍寶山大德禪寺世譜)
堺市史続編 第六巻
(第四巻)
4年8月 御用留(抄) 433 12
天保
5年正月 御用留(抄) 442 13
天保
6年8,げ取調帳 468 19
天保
13年6月 夕雲開諸色直下げ書上帳 469 20
天保
13年6,22
天保
13年7月 諸色直段引下げ書上帳 474 23
天保
14年正月 御用留(抄) ,477 24
天保
14年3月 大鳥村惣人数作当り書上并無作人数調帳 478 25
天保
14年4, 493 29
天保
14年4月 下石津村作付反別其外諸商売書上帳扣 494 30
天保
14
堺市史続編 第六巻
(第五巻)
5
天保
7年8月 堺唐物荷受問屋中口上 116 6
天保
7年12月 堺唐物荷受問屋中口上 ,117 7
天保
8年8月 堺唐物荷受問屋中口上 119 8
天保
8年10月 堺唐物問屋仮仕法之覚, 120 9 (
天保
9年)6月14日 堺町奉行触書 121 10
天保
9年7月 堺唐物荷受問屋中口上, 121 11
天保
9年9月 堺荷受問屋仮仕法一札 126 12
天保
9年9月 薬種荷受問屋取替,5年 訴訟状留帳(抄) 640 7
天保
9年 訴訟状留帳(抄) 648 8
天保
11年6月
堺市史 第七巻
((一〇)御蔭山址)
(一〇)御蔭山址
天保
七年の飢饉に際し窮民救濟の土木事業として築造された御蔭山は、茶粥、困窮、
天保
、,【山容】丘地の境域は
天保
九年御蔭山の北、住吉橋筋に假橋を架したとあるから(新地方日記)今の菱橋(所謂假橋
堺市史 第七巻
((一五一)田中宣正)
天保
三年五月八日享齡六十歳歿し、金蓮寺に葬つた。法號を杏林齋といふ。(墓誌)
堺市史 第七巻
((一〇九)琢堂)
詩文を能くし、謙讓自ら持して敢て人に衿らず、老を堺に養ひ、
天保
九年四月享年七十餘歳を以て病歿した。
堺市史 第七巻
((三〇〇)高橋耕友齋)
天保
十二年十二月十三日享年七十一歳を以て歿し、【墓所】旭蓮社に葬つた。(墓誌)
堺市史 第七巻
((三五)小松忠盈)
天保
六年擢んでられて騎士となり、翌七年九月二十日享年五十六歳を以て歿した。
堺市史 第七巻
((一〇六)剛堂宗健)
(南宗寺歷世年譜)文化十年東海寺輪番職に轉じ、
天保
六年二月二十八日示寂した。
堺市史 第七巻
((二七)越尾子和)
【河内島泉村の人】
天保
三年十月河内丹北郡島泉村に生れ、後堺に移住した。
堺市史 第七巻
((一〇八)護法宗行)
天保
九年三月五日、世齡八十七を以て示寂した。(寶山住持世記下、龍寶山大德禪寺世譜)
堺市史 第七巻
((二六九)益山宗林)
宗壽は
天保
十年十一月二十五日歿してゐる。(墓誌)
堺市史 第七巻
((四〇)伊藤吉左衞門)
天保
十一年江戸西城、弘化二年江戸城の造營に方り、銅瓦製作の工を督し、功を以て銀若干を賞賜せられた。,【非常時の措置】
天保
八年の飢饉、大鹽平八郞の騷擾、嘉永七年魯艦堺近海へ來航の際等に當り、各々機宜の處置
堺市史 第七巻
((二一)藤枝了空)
(二一)藤枝了空 藤枝了空は淨福寺の住職、
天保
七年四月一日出生した。
堺市史 第七巻
((二〇三)古家魯山)
小山等深く望を囑したが、(檀陰餘香序)
天保
十四年閏九月十八日、享年二十二歳を以て夭折した。
堺市史 第七巻
((三一一)四代目 竹本中太夫)
それより暫く本町一丁目の自宅に退隱して居つたが、
天保
三年正月稻荷文樂座に、生寫朝顏話新物の時、【四代竹本中太夫,(淨瑠璃大系圖卷之十、十一)
天保
十年十一月門人知友等相謀り、【壽碑】壽碑を堺超善寺境内に建てた。
堺市史 第七巻
((一八)昭空觀冏)
八歳、同寺第三十世仁空觀靜に沙彌戒を受け、十五歳京に入り、水空に從ひ、
天保
十四年九月、二十二歳同寺の住職
堺市史 第七巻
((一八七)廣瀨旭莊)
【堺に來り專修寺に寓居】三十歳の時同鄕人で、堺に醫を開業せる、小林安石の懇請に應じ、
天保
七年五月來つて,
天保
九年大阪に住し、就學のもの甚だ多く、十三年には大村侯に聘せられ、既にして翌年五月江戸に移り、弘化三年亦大阪
堺市史 第七巻
((七)小向寬雄)
(七)小向寬雄 【閱歷】小向寬雄は
天保
十二年正月大阪に出れ、明治二年六月若松縣出仕、九月同縣少屬に任
堺市史 第七巻
((六)一樋作兵衞)
(六)一樋作兵衞 一樋作兵衞は
天保
八年十月大阪問屋町濱に生れた。
堺市史 第七巻
((三六)關 治彦)
勝浦林平の次子、
天保
七年十一月出生した。
堺市史 第七巻
((八)月洲神社)
天保
五年九月當時の大地主外山定次郞及び同ふんの寄進によつて再建した。
堺市史 第七巻
((一二二)神南邊道心)
(堺史談會誌第五號)【錫杖下賜】
天保
七年嵯峨御所より錫杖を下賜せられ、時の堺奉行よりは、念珠を寄與せられた,【入定】
天保
十二年二月二十日、往日練供養に使用した、地藏尊の假面及び裝束を着け入定した。
堺市史 第七巻
((二〇七)津田呉一)
【堺の儒醫旭莊に學ぶ】【逍遙吟社の牛耳を執る】
天保
七年廣瀨旭莊來堺に際し、先んじて入門し、やがて八年旭莊
堺市史続編 第六巻
(第三編 近世)
…1006
天保
八年溝水汲取方取極一件…1008 明治三年溝水一件…1009 4 特権的流通機構, 薩摩芋一件訴訟…1018 第六章 幕末変革期の堺周辺 1021 第一節
天保
改革,紀州貸金…1061 2 幕末期の石代納 1061 三分一値段による増徴…1061
天保
期,の頻発 1085 1 下石津村の村方騒動 1085 小作農民の動向…1085
天保
期,倹約令と農民…1131 丹南藩の倹約…1136 地車虫干による村方対立…1137
天保
飢饉
堺市史 第七巻
((二九〇)布屋五兵衞)
善法寺の南方住吉橋通北三丁汐見ヶ丘に別墅を構へ、【粟田の陶工を聘し茶器を造る】
天保
の頃京都粟田の陶工を
堺市史 第七巻
((五三)田能村直入)
(日本書畫名家編年史卷五)【堺寓居】後
天保
十年堺に寓して畫筆を揮ひ、弘化三年堺を去るまで約八年に涉り、
堺市史 第七巻
((一八六)奧野小山)
(大阪人物誌卷二、近畿墓跡考)【帷を堺に下す】
天保
十年より弘化元年に至る約六年間、堺に寓居して帷を垂れ
堺市史 第七巻
((二四三)菅 奇淵)
(大阪名家著述目錄)
天保
五年五月十八日大阪で沒した。享年七十三。
堺市史 第七巻
((一八四)小川宗右衞門)
敬齋は由來堺は古來の貿易港として殷賑の地なるに關らず、就學の者甚だ尠きを憂へ、子弟養成を念とし、遂に
天保
十三年時
堺市史 第七巻
((三六)上條柳居)
【墓所】
天保
十四年七月四日疾を以て歿した。享年六十六歳。
堺市史 第七巻
((一四)廢善法寺)
斯して此後
天保
六年、善法寺の庫裏、龍神堂及び繪馬堂を造營し、【本尊】曩に慈眼院に奉祀した龍神尊を此處に
堺市史 第七巻
((二九)清川幸齋)
清川幸齋幼名は四郞次、通稱は廸、字は玄良、【下總高岡村の人】下總香取郡高岡村小浮金澤四郞左衞門の第二子で、
天保
十二年二月出生
堺市史 第七巻
((四一)磯矢賴母)
天保
四年大鹽平八郞の亂に、大阪東町奉行所附の與力多くは其籍を沒せられた。
堺市史 第七巻
((一七)指吸匡道)
天保
六年三十八歳、【兵庫祥福寺住職】攝津兵庫平野祥福寺に入り、爾來二十八年祥福寺の大株、【門下の高足】
堺市史 第七巻
((三五)屋崎正明)
善くし、【狂歌の雅名】殊に其狂體は、才氣橫溢、秋夜長樹、和群居或は綠龜園等の雅號を以て知られ、文政、
天保
堺市史続編 第六巻
(第六巻)
近世1 行政区画、領知変遷および主邑の分布、新田開発、古寺社、主要交通路 Ⅴ 近世2 元禄期および
天保
期
堺市史 第七巻
((四六)中井作次)
(四六)中井作次 中井作次は號汲江、【甲斐町東一丁の人】
天保
十一年甲斐町東一丁に生れた。
堺市史 第七巻
((一五)環溪密雲)
二十歳の時、【參禪修行】長崎皓臺寺の祖芳に就いて參禪し、
天保
九年の秋、神宮寺の松濤老師の退去に隨ふて、,
天保
十二年山城宇治興聖寺の囘天に參し、環溪密雲と改稱して居ること數年、【信太村蔭涼寺住職】安政元年二月和泉泉郡
堺市史 第七巻
((三三)梁田綗介)
後安積艮齋、佐藤一齋及び森田節齋等に師事し、【帷を堺に下す】
天保
の末年帷を堺に下し、(日本教育史資料、
堺市史 第七巻
((二一)矢部定謙)
【堺奉行】
天保
二年正月先手より堺奉行に轉じ、同四年七月大阪町奉行に進み、尋いで勘定奉行に轉じ、同十三年歿
堺市史 第七巻
((四)神明神社)
(社寺明細帳)【創祀】始め佐々木長門なる者、來つて荒蕪を開拓し、今の榮橋通西南詰に住し、
天保
三年三月宅地
堺市史 第七巻
((一九)由理滴水)
天保
元年九歳の時、【得度】同國加佐郡行永村龍勝寺の大法和尚に得度、(滴水禪師逸事)同十一年備前曹源寺の
堺市史 第七巻
((四〇)渡邊重春)
重春
天保
二年三月出生した。
堺市史 第七巻
((三一〇)豐竹此太夫)
天保
八年の頃には病氣であつたが、其後の事蹟は明かでない。(淨瑠璃大系圖卷之八)
堺市史 第七巻
((一五)正法寺)
第二十九世惠空千良時代寺運頗る衰へたが、第三十世仁空觀靜
天保
十年八月入院して整理に努め、第三十一世照空觀冏亦力
堺市史 第七巻
((八)天白稻荷神社址)
十三、 二 初午 小菅 正芳 石燈籠 文化 十五、 二、初午 關 行篤 同
天保
堺市史 第七巻
((一八三)柴田鳩翁)
天保
元年七月の大震に京都の居宅大破したるを以て、明倫舍の請により、講師として其舍に移住し、爾後、輪講、
堺市史 第七巻
((六〇)五代目 竹本春太夫)
(竹本攝津大掾)【江戸に下る】
天保
五年氏太夫に伴はれて江戸に下り、滯留五年頗る好評を博し、【竹本文字太夫
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